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愛媛県今治市桜井6丁目2-1にある神社 ウィキペディアから
菅原道真が大宰府へ左遷される途中、燧灘の壬生川沖で嵐に遭ったが、現宮司の祖先である広川修善と里人に助けられて志島東端に漂着した。急なことで敷物が無く、漁網を敷いて敷物の代わりとしたことから「綱敷」の社名が付いたとされる。鮮魚を里人に献上されるなどの厚意に感じた道真は梶柄に自像を刻み「私は菅原道真である。もし私が無事帰洛できたなら、この像を証拠として都を訪ねなさい。私が配地で没したと耳にしたなら、この像を素波神(そばがみ)と称し祀るように」と述べた。
道真は大宰府にて没し、素波神は当地南端の祠に祀られることとなった。時は下って享保5年(1720年)6月、伊予松山藩主松平定英の命により、現在地に社殿が築かれた。
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