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1968年に『少年マガジン』誌上で行われた怪獣デザインの公募企画を通じて前衛美術家の高山良策と知り合い、彼の工房「アトリエMay」に出入りするようになる[2]。
1970年よりアートクリエイターと称し、円谷プロダクションや東映など、テレビ・映画で企画やキャラクター創造、特殊美術デザイン、論評を担当[1][3][2]。『ウルトラセブン』(1969年)における講談社主催の怪獣デザイン募集企画に、アートサークルMUTANTSの一員として多数の作品を応募したことで、円谷プロから注目され、高山の勧めで『帰ってきたウルトラマン』(1971年)の第3クール前後から、本格的に怪獣デザインを手掛けることになり、怪獣デザイナーとして公式にクレジットされる[2]。それまでのウルトラシリーズでは美術スタッフが怪獣デザインも手がけていたため、同シリーズで初の外部の人間による専任デザイナーとなった[3][2]。
『ミラーマン』(1971年)や『ジャンボーグA』(1973年)などの円谷作品を経て、矢島信男主宰の特撮研究所で『正義のシンボル コンドールマン』(1975年)のヒーローデザインを手掛けた後に、企画段階の東宝映画『ゴジラvsビオランテ』(1989年)にも参加し、ビオランテの検討用デザイン(実質的なデザイン原案)を手掛けたこともあった。また、テレビやネット番組などの構成ブレーンや各種イベント、出版などに協力、テーマパークの世界に精通しており、博物館や動物園などの展示プロデュースやサーカスのショー開発などのアドバイザーも務めている[1][2]。
SSP日本自然科学写真協会にも創立時から参加。現在も会員である。
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