米澤剛志

日本のサッカー選手 ウィキペディアから

米澤 剛志(よねざわ たけし、1969年2月6日 - )は、大阪府出身の元プロサッカー選手教員、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー

概要 米澤 剛志, 名前 ...
米澤 剛志
名前
愛称 米さん、よね
カタカナ ヨネザワ タケシ
ラテン文字 YONEZAWA Takeshi
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1969-02-06) 1969年2月6日(56歳)
出身地 大阪府
身長 186cm[1]
体重 80kg[1]
選手情報
ポジション DF
利き足 左足
ユース
1981-1983 南千里中学校[2]
1984-1986 北陽高校
1987-1990 大阪体育大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1991-1995 ヤマハ/ジュビロ磐田
1996 ガンバ大阪 0 (0)
1997 大分トリニティ
通算 0 (0)
代表歴
1984-1985  日本Jrユース 2[3] (0[3])
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj
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来歴

小学校時代にサッカーを始め、南千里中学校3年時に全国中学校サッカー大会で優勝[4]

北陽高等学校1年時に日本ジュニアユース代表に選ばれ、同年8月のAFC U-17選手権1985予選、1985年2月の本大会に出場した[3]高校選手権では1年時にベスト8(第63回)に貢献し優秀選手に選出[5]、2年時には初戦敗退(第64回)したが、いずれも帝京高校に敗れている[5]

大阪体育大学を経て、1991年にヤマハ発動機サッカー部(現:ジュビロ磐田)に加入[6]。1990-91シーズンのJSL1部第11節で追加登録され[6]、同年10月20日に行われた1991-92シーズンJSL1部第6節の三菱自動車戦でデビュー[7]。1992年3月21日に行われた第21節の全日空クラブ戦で初得点を決めた[7]。JSL1部では通算7試合に出場し1得点2アシストを記録した[7]

プロ化によりジュビロ磐田へ以降後もチームに在籍し、日本プロサッカーリーグ昇格後の1994年4月27日に行われたサントリーシリーズ第12節の名古屋グランパスエイト戦で初出場[8]、同年6月1日に行われたサントリーシリーズ第18節の浦和レッドダイヤモンズ戦で初得点を決めた[9]

1995年まで磐田に在籍した後、1996年にガンバ大阪に移籍したが出場機会はなく、同年限りで退団[10]。1997年には大分トリニティ(現:大分トリニータ)に移籍するも、同年限りで退団。腰の状態が悪化しプレーの継続が困難となったため現役を引退した[4]

引退後は様々な職業を経て教員となり、岐阜県立羽島北高校などに勤務[4]。2018年からは岐阜県立岐阜工業高等学校で体育教諭とサッカー部の監督を務めている[11]

所属クラブ

個人成績

さらに見る 国内大会個人成績, 年度 ...
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1990-91ヤマハ28JSL1部00000000
1991-921971100註1081
1992旧JFL-21
199312200
1994磐田-J16400
1995191-
1996G大阪00000000
1997大分33旧JFL
通算日本J 35500
日本JSL1部 71100081
日本旧JFL 122
総通算 477
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註1 1回戦の大阪体育大学戦のメンバーについては不明。

その他の公式戦

脚注

関連項目

外部リンク

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