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米子瀧山不動寺(よなこたきざんふどうじ)は長野県須坂市米子にある真言宗豊山派の寺院。日本三大不動尊の一つであり、本尊は上杉謙信念持仏の不動明王。
開山は養老2年(西暦718年)加賀の白山信仰を確立した泰澄大師の一番弟子で修験道僧の浄定(きよさだ)。開基は仏教の民間布教に尽力し、奈良東大寺に深く関与した僧・行基である。中興開基は戦国大名の上杉謙信。室町幕府13代将軍足利義輝より関東管領職に補任された謙信が上洛の折に、足利将軍家に伝わる念持仏の不動明王を関東庶民の安寧の為に賜り、謙信の念持仏となった。川中島の第四次合戦の際には本陣に祀り士気を高めたと言われる。その不動明王立像が、現在の米子瀧山不動寺の本尊不動明王立像である。一年中全国各地から善男善女の参詣者が訪れる祈願寺。また日本三大(三体) 不動尊の一つに数えられる。
米子瀧山不動寺奥之院本堂は里堂から更に12キロの山中にあり、国指定名勝・米子瀑布群の不動滝.権現滝の中央の麓にある。両滝は約100m近い落差を誇る滝である。不動滝は滝行が出来る滝としては日本一の高さがあり、両滝とも真っ直ぐ落ちる直瀑。米子瀧山不動寺では本尊不動明王立像と共に滝も御神体として崇めている。
現在の住職は信濃国松代藩並びに上野国沼田藩初代藩主眞田従四位下侍従伊豆守信之(信幸)と島津忠恒をはじめ戦国武将らに日ノ本一の兵と称えられた眞田従五位下左衛門佐信繁(幸村)の両方の血を引き犬伏の別れ以来兄弟の血筋が一緒になっている事で知られている。 眞田家は白山信仰をしており、四阿山の山頂に祀られている白山大権現の北側にある米子大瀑布の不動滝・権現滝は古来清めの大神(北側の白山大権現の里宮)当寺奥之院の祭祀を勤めていた事から深い縁を感じる。
長野県須坂市米子1057
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