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1945年(昭和20年)に入り、関東軍は南方へ兵力の過半数を引き抜かれていたが満洲居留邦人15万名、在郷軍人25万名を「根こそぎ動員」、さらに中国戦線から4個歩兵師団を戻してなんとか74万人の兵員を調達した。さらに以前関東軍特種演習により本土から輸送させた戦車200輌、航空機200機、火砲1000門も健在であった。
しかし兵員の半数以上は訓練不足、日ソ中立条約違反を想定していなかった関東軍首脳部の混乱、物質不足(砲弾は約1200発ほどで、航空部隊のほとんどが戦闘未経験者。また小銃が行き渡らない兵士だけでも10万名以上)のため事実上の戦力は30万名程度だったといわれている。
同年7月、「根こそぎ動員」の際に第135師団は、第2国境守備隊(綏芬河)及び第4国境守備隊(虎頭)の主力、第46兵站警備隊、独立混成第77旅団を基幹に編成され、第5軍に編入された。
同年8月9日のソ連対日参戦時に、第135師団は虎林から東安方面に所在していた。第5軍司令部は、第135師団と第126師団に掖河まで退却を命令した。両師団は第124師団がソ連軍との激しい戦闘を継続する中、牡丹江の防備を強化しソ連軍の攻撃を防ぎながら、牡丹江市街の在留邦人の脱出を助けた。
8月15日に第135師団と第126師団は第5軍司令部から命令を受け、8月17日には牡丹江北西の横道河子まで退却し、その地で停戦命令を受けた。
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