笠䅣稲荷神社
横浜市神奈川区にある神社 ウィキペディアから
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天慶年間(938年 - 947年) に、淳和天皇勅願所浦島院観福寺の僧侶が隣域の山腹(稲荷山)に社殿を建立し、伏見稲荷大社の御分霊を勧請したことが創祀と伝えられ、同寺の守護神及び附近一帯の産土神として崇敬を集める。文永11年(1274年)、元寇の折りには、鎌倉幕府の執権北条時宗が菊一の銘刀と神鈴を奉納して、国家の安泰を祈願した。戦国時代に兵火に罹災してしまったものの、永禄2年(1559年)に再興なって大祭を行い、元禄2年(1689年)には稲荷山の中腹より山麓に遷座。これより、社前を通行する者の笠が自然と脱げて地に落ちたことから、「笠脱稲荷大明神」と称されるようになり、後に別当能満寺の阿闍梨が笠脱の一字を訂正し、禾に皇を添えて「笠䅣稲荷大明神」と改称した[1]。
明治2年(1869年)には旧社地が京浜間の鉄道敷設用地に接収されたため現在地に移り、明治17年(1884年)には村社に列し、1921年(大正10年)に神饌幣帛料供進社に指定された[1]。
1923年(大正12年)の関東大震災により社殿が半壊、昭和20年(1945年)5月29日の横浜大空襲には、社殿・神宝類の悉くを焼失する憂目を見たものの、終戦後いち早く仮社殿が再建された[1]。
古くより笠䅣稲荷に参拝するとカサ(性病・婦人病)が治るという伝承があり、病気にかかった女性は土団子を作って神前に供え、お百度を踏んで祈願をすると、霊験を得て病気が治り、粢団子を作りお礼詣りをする習慣がある[1]。
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