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福田 良(ふくだ りょう、1979年6月26日 - )は、日本のレーシングドライバー福岡県福岡市出身。2001年のフランスF3選手権チャンピオン。

沖学園高等学校卒業[1]

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経歴

日本人の父と、ハーフであるアメリカ人の母の次男として生まれる[2]

1991年にカートレースデビュー。1996年に単身フランスに渡り、フランスの石油会社エルフの主催するレーシングスクール「エルフ・ラ・ラフィリエール」に入学。以後フランスを拠点にレース活動を行う。

1999年にはフランスF3にステップアップ。2000年には、5月7日の第4戦マニクールでポールトゥーウィンを達成。海外F3では1991年のイギリスF3野田英樹以来2人目、フランスF3では史上初となる日本人ウィナーであった[3]。シーズン中盤までランキングトップに立つが、所属チームの体制混乱に巻き込まれ、シーズン途中でチームの移籍を余儀なくされたことが影響し、チャンピオンを逃す。3年目となる2001年に、日本人初のシリーズチャンピオンを獲得。この年はイギリスF3で佐藤琢磨、ドイツF3で金石年弘がそれぞれシリーズチャンピオンを獲得しており、ヨーロッパの主要F3選手権のうちイタリアを除く3つで日本人がチャンピオンを獲得したことが話題を呼んだ。2001年末にはB.A.Rホンダとテストドライバー契約を結ぶ。

しかし、B.A.Rとの契約直後に、福田をテストドライバーに採用したチームマネージャーのクレイグ・ポロックがチームを解雇され、福田はチームにおける後ろ盾を失った。そのため2002年シーズンは、序盤以降テストでもF1マシンをドライブする機会が殆ど与えられず、福田はチームのプロモーション活動に参加するだけであった。

2003年には日本に帰国し、フォーミュラ・ニッポンTEAM 5ZIGENより参戦するが、第5戦を終了したところで突然シートを失った[4]。同年ル・マン24時間レース近藤真彦率いるKONDO Racingから出場し、13位完走。

2004年はフランスのポール・ベルモンド・レーシングと契約し、ワールドシリーズ・バイ・ニッサン(WSN)の開幕戦に出場するが、第2戦以降は欠場。ル・マン24時間レースでは前年に引き続きKONDO Racingから出場するがマシントラブルでリタイアに終わる。この不遇の2年間を福田は自身の公式ウェブサイトにて「レースをやめようと思った」と述懐している。

2005年、フォーミュラ・ルノー3.5へフル参戦し、本格的なレース参戦を再開。同年より始まった2005-2006 A1グランプリに日本チームとして初戦のイギリス戦に参戦した(スプリントレース12位、フィーチャーレース8位。チーム総合21位)。2006年はフォーミュラ・ルノー3.5に参戦。しかし2007年以降はドライバーとしての活動を行っておらず、公式サイトも閉鎖されるなど、事実上レーシングドライバーとしては引退状態となった。

2008年に結婚、子供の誕生により一時育児に専念する。一部メディアでは「板前に転職した」との情報も流れたが[5]、2010年にレーシングドライバーのマネジメント業を中心にレース現場に復帰。2012年には野田英樹栃木県茂木町に開校する「NODAレーシングアカデミー高等学院」の講師に就任した[6](2014年現在は退任している)。

2014年5月、オートポリスにて同年のSUPER GT・第3戦と併催で行われた「GTアジアシリーズ」に参戦し、8年ぶりにレースに復帰[7][8]。シリーズフル参戦すると発表された。

2024年11月、オートポリスで行われた「ゴールドカップレース第6戦」のVITA耐久レースに出場し、久々にサーキットに姿を見せた。本人によれば「数年前までアジア地区での若手ドライバーのアドバイザーを務めていた」が「今は主夫」だといい、今回のレース参戦もあくまで「友人の誘い」で趣味の範囲だとしている[9]

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レース戦績

フランス・フォーミュラ3選手権

さらに見る 年, エントラント ...
エントラント シャーシ エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 順位 ポイント
1999年 Eif La Filière マルティニ Mk79 オペル NOG1
8
NOG2
6
MAG1
10
MAG2
7
PAU1
Ret
PAU2
Ret
DIJ1
8
DIJ2
Ret
CHA1
4
CHA2
4
ALB1
6
ALB2
BUG1
5
BUG2
LED1
9
LED2
Ret
MAG3
6
MAG4
5
VDV1
10
VDV2
8
9位 123
2000年 LD Autosport ダラーラ F399 ルノー NOG1
2
NOG2
3
MAG1
2
MAG2
1
PAU
4
VDV1
1
VDV2
5
SPA1
8
SPA2
9
ALB BUG
Ret
LED 3位 130
2001年 Saulnier Racing ダラーラ F399 NOG1
9
NOG2
1
LED
1
MAG
1
VDV
3
SPA1
1
SPA2
1
CET
4
ALB
3
BUG
1
MAG
1
1位 191
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ル・マン24時間レース

さらに見る 年, チーム ...
チーム コ・ドライバー 車両 クラス 周回 総合順位 クラス順位
2002年 フランスの旗 オート パレス フランスの旗 ギヨーム・ゴメス
フランスの旗 ローレン・カズナーヴ
フェラーリ・360モデナ GT GT 119 DNF DNF
2003年 日本の旗 KONDO Racing 日本の旗 近藤真彦
日本の旗 片山右京
童夢・S101-無限 LMP900 322 13位 8位
2004年 日本の旗 加藤寛規
日本の旗 道上龍
LMP1 206 DNF DNF
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フォーミュラ・ニッポン

さらに見る 年, チーム ...
チーム シャーシ エンジン タイヤ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 順位 ポイント
2003年 TEAM 5ZIGEN ローラ B3/51 無限・MF308 B SUZ
7
FSW
Ret
MIN
6
TRM
Ret
SUZ
13
SUG FSW MIN TRM SUZ 14位 1
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人物・エピソード

  • モータースポーツの出会いは、クルマ好きの父に連れられ、兄と一緒にポケバイを始めた事から。その後はカートに転向するも、当初は野球に夢中でカートに興味を持っていなかったという。学校以外は福岡カートランドで走り込みをし、一番近いライバルである兄のタイムを破る頃から、カートの楽しさを知った[2]
  • 極度の人見知りを隠すための態度が、時に佐藤琢磨らとの比較で周囲に誤解を与えてしまう一面がある[2]
  • 人と話すのは好きだが、ステージの前に立って人前で喋るのは大の苦手としているが、ただ喋り始めたらキリがなくなるタイプとも語っている[10]
  • 1998年のクリスマス・イブに、母校である沖学園高校から「体育館に200名くらいの学生が集まる中で自分だけの卒業式を開いてもらった」事が今までで最高のクリスマスプレゼントだったと語っている[1]
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脚注

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