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禁演落語(きんえんらくご)とは、国家権力などによって自粛を強いられ、事実上、上演を禁じられた落語のことである。一般的に、第二次世界大戦のさなかに自粛対象となった53演目を指すが、本項目ではこれ以外の自粛例についても説明する。
1941年(昭和16年)、警視庁保安部は落語の内容に卑俗的で低級なものが多いとの非難の声を受け調査を実施、同年9月20日、遊郭や遊女を扱う廓噺や間男の噺など53演目について上演禁止とする通達を発した[1]。これらの演目は同年10月30日、浅草寿町(現台東区寿)にある長瀧山本法寺で法要が営なわれ、はなし塚に葬られて自粛対象となった。戦後の1946年(昭和21年)9月30日「禁演落語復活祭」によって解除。
「はなし塚」建立60年目の2001年(平成13年)、落語芸術協会による法要が行われ、2002年(平成14年)からは毎年はなし塚まつりが開催されている[2]。
2003年(平成15年)より、毎年8月下席の浅草演芸ホール夜興行は「禁演落語の会」と銘打ち、落語芸術協会が評論家の解説をつけて禁演落語であった53演目のいずれかを口演している[3][4]。
落語立川流の立川談之助は、全国各地の公演で独自に禁演落語を演じるとともに、現行の日本国憲法の大切さを訴えることをライフワークにしている[5]。また、前出の「禁演落語の会」にも落語芸術協会の芝居ではあるが、毎年常連の演者として顔付けされている。
1947年(昭和22年)5月30日、進駐軍(占領軍)の検閲機関である連合国軍最高司令官総司令部民間情報教育局(CIE)の指示に応じる形で、軍国主義的、暴力的、荒唐無稽にすぎるなどと見なされた27演目が落語協会と日本藝術協会(落語芸術協会の前身)の連名で選ばれ、自粛対象となった。1953年(昭和28年)の占領体制終了によって自然解除となった[6]。
憲法によって表現の自由が保証されている今日の日本では、国家権力などによる禁止演目は一応存在しないことになっているが、放送が自粛されていたり、放送に当たって一部改変を余儀なくされていたりする演目が少なからずある。演じたものの音声の一部が加工されて放送されていることも多い。放送のみならずいわゆるホール落語でも、上演された新作落語が、人権団体の抗議に応じた公的機関によって、自粛を要請された例がある。
1970年代には、NHKで柳家小さん(5代目)の「道灌」に出てくる「賤の女」という言葉が問題とされた[7]。
1988年にCBSソニーから発売された柳家小三治のCD・カセット「鼠穴」では、鈴本演芸場独演会で当時報道されていた昭和天皇の病状について語ったくだりが問題となり発売直前にいったん回収、その部分をカットしてから再発売となった[8]。
また、プラットフォームでのオンライン配信による実演の場合、配信元のコミュニティガイドラインに基づいて一方的に配信がいったん停止される可能性があるため[9]、出囃子などの音曲カット・配信を自粛する傾向もある。
新作落語の作者でもあり演者でもある林家彦いちは、時代の流れで女性蔑視などの噺が淘汰されてゆく可能性を2021年に指摘している[10]。
また、寄席での定席興行などにおいては、この日に来場している身体面などで支障がある観客(例として「目の不自由なお客様」「車椅子のお客様」など)の情報を前座が「根多(ネタ)帳」に付箋で貼り付けて、演者がそうした観客に配慮する形で噺を演じられるように工夫がされている。
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