神宮寺 (名古屋市)
名古屋市昭和区の寺院 ウィキペディアから
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神宮寺(じんぐうじ)は、愛知県名古屋市昭和区御器所(ごきそ)にある真言宗豊山派の寺。山号は医王山(正式表記は醫王山)。大名古屋八十八カ所 三十六番札所。
神宮寺 | |
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医王山神宮寺 | |
所在地 | 愛知県名古屋市昭和区御器所四丁目4番22号 |
位置 | 北緯35度8分42.3秒 東経136度55分25.4秒 |
山号 | 医王山 |
宗旨 | 真言宗 |
宗派 | 豊山派 |
本尊 | 薬師如来(薬師瑠璃光如来) |
創建年 | (伝)嘉祥3年(850年) |
開山 | 成惠僧都 |
開基 | 仁明天皇 |
中興年 | 1887年(明治20年) |
中興 | 實定法尼 |
札所等 | 大名古屋八十八ヵ所 36番札所 |
法人番号 | 3180005001171 |
本尊は薬師如来(薬師瑠璃光如来)。仁明天皇の勅願寺とされ、また御器所最古の寺である。
秘仏である薬師如来は毎年11月8日に開帳され、多くの参拝者で賑わう。またその日に供えられた餅(やっこ餅)を食べると病気患いがないと信仰されている。
寺伝によれば、医王山神宮寺は弘仁4年(813年)に嵯峨天皇により、現在の名古屋市熱田区神宮付近に創建が計画されたといわれる。しかし、嵯峨天皇は崩御し、遺志は第二皇子である仁明天皇へ引き継がれたとされる。
承和2年(835年)仁明天皇の勅願により、嘉祥3年(850年)神宮付近に熱田神宮別当補佐職の任を受けた高野山の僧・成惠僧都により、熱田宮鬼門除け鎮護修法所として創建されたとされ、当時は嵯峨天皇の勅筆の仁王護国般若経、勅額などが納められていたとされる[1]。
嘉元2年(1304年)に雷火により堂や文庫・庫裡・経蔵等が焼失したため、現在の名古屋市昭和区御器所(ごきそ)移り、草堂を建立した。また、開山より無本寺であったが、高野山金剛峯寺の末寺となる[1]。
嘉吉元年(1441年)12月16日に神宮寺境内奥山に、御器所城主佐久間美作守家勝の勧進により、旧御器所村の氏神である八幡大菩薩(現在の御器所八幡宮)を迎える。当寺が禰宜兼ねることになる。
慶安3年(1650年)京都密蔵院の大僧都有海が、当時の住職となるが、再び雷火にみまわれる。住職亮海僧都の尽力と、村中を勤財し、慶安5年(1652年)2月16日に宮大工大島雲八によって本堂を再建する。後に、神宮寺学頭十五世大阿闍梨法印金憧阿闍梨と引き継がれ、明治に入り廣澤観光和上とつづくが、神仏分離令により御器所八幡宮とは分離され、廃仏毀釈により住職は還俗され無僧荒廃を辿る。
地域住民より復興を願う声があり、明治20年(1887年)1月、高野山より拝命された中興桑原實定法尼により復興[1]。
昭和20年(1945年)太平洋戦争により諸堂が皆焼失する。第三世貞純法尼に至り、昭和46年(1971年)に有志の助力にて本堂が再建、昭和61年(1986年)観音堂が落慶される[1]。
毎年11月8日には医王山神宮寺の秘仏である薬師如来が開帳される。
薬師如来(医師の仏)の持ち物である薬壺(やっこ)に見立てつくられたやっこ餅は、
本堂に山のように供えられ、やっこ餅を食べれば、
病気や患いごとが無く過ごせると信仰されている。
近年では、御開帳に合わせて、年一度やっこ餅を幼児に背負わせる一升餅祈祷会(やっこ餅祈祷会)が本堂にて行われる。
幼児に、一升餅で作られたやっこ餅を背負い七歩歩けば、一生食うに困らず、一生心を丸く、一生粘り強く、一生患いがないとされる。
一升餅祈祷が終れば、選び取りが行われ、幼児の将来の職業や才能を占う。申込みは0歳~1歳までとなっている。
むかしむかし、御器所村に身体が弱い病気がちの女が住んでいた。
女には一歳になる娘があったが、大変貧乏生活で明日も知れぬ有様であった。
女はこんなにも苦しむのは、前世からの因縁であろうと思ったが、このまま虚しく餓え死ぬよりは、善きことをして仏の加護を願ってみようと考えた。
そして、御器所村の薬師堂に詣でた。
女は薬師堂で祈ってこう言った。
「私の命を惜しむのではありません。我が子の命が惜しいのです。このままでは二人とも、餓えで死んでしまうでしょう。どうか、どうか、身体がもう少し丈夫であれば…。」と。
不憫に思った十二人の堂守(どうも)り達は、女をお堂の中に入れ、薬師如来の前で祈祷がおこなわれた。
壇の上には四十九本の蝋燭と、五色の旗が彩られ、昼夜お経が唱えられた。
そして、祈祷が始まって七日目の晩、女の夢枕に仏が現れた。
仏が女に向って近づくこと七歩。女の前に立ち「除病安楽(じょびょうあんらく)」とおっしゃり、左手の薬壺(やっこ)を差し出すではないか。
女はそれを頂くと、ふと夢から覚めた。
あくる朝「あの仏さまは、薬壺(やっこ)を持っておられた。お薬師さまに違いない。」
と女は思い、娘を連れ、薬師堂に詣でてみると、薬師如来の左手に餅がのせられていた。
女はその餅を食べてみると、病気がちの痩せ細った身体は、みるみる元気になるではないか。
一歳の娘もその餅を食すと、気立ての良く、健やかな村一番の娘に育った。
感極まった女は、再び御礼参りに、薬師堂に詣でると、十二人の堂守り達に、思いのつく限りの感謝の言葉を述べた。すると、十二人の堂守り達は「南無薬師瑠璃光如来」と申し、姿を消した。
その摩訶不思議な噂は村中に広がり、村人は薬壺(やっこ)が餅にかわったと、たいそう喜び、その餅を「やっこ餅」と名付けられた。
現在では、お薬師さまが現れた毎年十一月八日に、感謝のお勤めが続けられ、沢山の「やっこ餅」が供えられている。
お堂で写経体験(要電話予約)
第2・4週の水曜日 19時半~21時まで 月二回のお寺で太極拳(変更日あり)
月1回 第4火曜日もしくは木曜日(変更日あり)お寺で陶芸体験
月1回 第4金曜日(変更日あり)お寺でシニア向けヨガ メディカルヨガ(自己医療を目的とするヨガ)
〒466-0051 愛知県名古屋市昭和区御器所四丁目4番22号
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