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労働社会主義インターナショナル(英語: Labour and Socialist International (LSI) 、ドイツ語: Sozialistische Arbeiter-Internationale, SAI 。ドイツ語から 社会主義労働者インターナショナル とされる場合もある)は、かつて存在した社会主義(社会民主主義)政党や労働党による国際組織。戦間期の1923年から1940年にかけて活動した。第一次世界大戦に際して崩壊した第二インターナショナルを引き継ぐ組織であり、現在まで続く社会主義インターナショナルの先駆となる組織でもある。
前身 | 第二インターナショナル |
---|---|
後継 | 社会主義インターナショナル |
設立 | 1923年 |
解散 | 1940年 |
種類 | 社会主義者、社会民主主義者の国際組織 |
目的 |
社会主義・社会民主主義 修正主義・社会改良主義 反共主義 |
1923年、ツィンマーヴァルト運動を継承する国際社会党委員会(International Socialist Commission、いわゆる「ベルン・インターナショナル」)と、オーストリア・マルクス主義派を中心とする国際社会党行動同盟(International Working Union of Socialist Parties、いわゆる「ウィーン・インターナショナル」または「第二半インターナショナル」)が合流して結成された[1][2]。
主にヨーロッパにおいて、共産主義者の国際組織である第三インターナショナル(コミンテルン)と激しい勢力争いを繰り広げた[3]が、中央集権的な組織機構は持っていなかった[4]。一般にはロシア革命(十月革命)以降、共産主義への移行を拒否した社会民主主義者が第二インターナショナルを再建した組織とみられており[5]、インターの内部ではドイツ社会民主党の影響力が非常に強かった[6]。
国家社会主義ドイツ労働者党の台頭を前に1933年、ドイツにおいて共産党との共闘を呼びかけたが失敗し、アドルフ・ヒトラーの権力掌握を許す。その後、部分的な統一戦線の試みがなされることもあったが、大きな成果にはなっていない。一般に南ヨーロッパ諸国では統一戦線が形成される傾向にあり、イギリスやスカンディナヴィア諸国では拒絶される傾向にあった。後の人民戦線においても、大きな成果を上げたのはフランスとスペインであった。またリーフ共和国などの例外もあったが[7]、ヨーロッパの政党がほとんどを占めていたこともあり、植民地問題については大方冷淡だった。ソビエト連邦の領域から亡命した政党が多かったことも、コミンテルンとの共闘を阻害する一因だった。
第二次世界大戦に際して解散したが、その活動は戦後、1951年に結成される社会主義インターナショナルにつながった。
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