石原半右衛門
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石原 半右衛門(半右衞門、いしはら はんうえもん、1847年3月25日(弘化4年2月9日[1])- 1930年(昭和5年)2月20日[1][2][3])は、明治期の文部官僚・政治家。衆議院議員。
経歴
丹波国船井郡大戸村[1](京都府[2]船井郡川辺村[3]字大戸[1]、園部町を経て現南丹市園部町大戸)で、江戸幕府旗本滝川氏家臣、地役人・石原三左衛門の二男として生まれた[1]。
明治維新後、文部属、大阪専門学校雇、岩手県尋常師範学校長、京都師範学校幹事、京都府船井郡長などを歴任[2][3]。
また、川辺村会議員、京都府会議員、同常置委員、平安遷都千百年記念祭協賛会評議員、第4回内国勧業博覧会評議員を務めた[2][3]。
1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙(京都府第5区、1890年7月、大成会)で初当選し[4]、その後、第6回総選挙まで4回再選され、最後は三四倶楽部に所属して衆議院議員に通算5期在任した[2][3]。
国政選挙歴
- 第1回衆議院議員総選挙(京都府第5区、1890年7月、大成会)当選[4]
- 第2回衆議院議員総選挙(京都府第5区、1892年2月、無所属)当選[4]
- 第4回衆議院議員総選挙(京都府第5区、1894年9月、大手倶楽部)当選[5]
- 第5回衆議院議員総選挙(京都府第5区、1898年3月、進歩党)当選[5]
- 第6回衆議院議員総選挙(京都府第5区、1898年8月、憲政本党)当選[5]
- 第7回衆議院議員総選挙(京都府郡部、1902年8月、無所属)落選[6]
- 第14回衆議院議員総選挙(京都府第5区、1920年5月、立憲国民党)次点落選[7]
脚注
参考文献
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