町田氏
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歴史
出自
薩摩国日置郡町田(鹿児島県日置市)を領した島津忠経(島津忠時の七男)の三男である忠光を租とする[1]。後に日置郡伊集院郷石谷村を本領とし、一時は石谷姓を名乗った。中世期には島津氏所領の地頭を務めた。島津家中における家格は御一門に次ぐ一所持[2]で1700石を有した[3]。
江戸時代以降
文禄年間(1592年 - 1596年)に初めて家老を出し、江戸時代には薩摩藩の家老を複数輩出した[4]。町田忠尚は島津宗家島津家久の子息で、町田氏に入嗣した。
出典
関連項目
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