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幕末の高田藩士 ウィキペディアから
田沼 健(たぬま けん、1847年1月2日(弘化3年11月16日) - 1909年(明治42年)7月6日[1][2])は、幕末の高田藩士、明治期の内務官僚。官選山梨県知事。名・利遂、通称・周太郎[1]。
越後国頸城郡高田蓮池横町(現新潟県上越市)で、高田藩士・田沼善太夫(通称・恆)の長男として生まれる。藩儒・木村容斎に学んだ。明治2年9月(1869年)、高田藩史監となり、さらに同藩少属十四等出仕を務めた[1]。
廃藩置県後、柏崎県に出仕。1873年8月、新潟県少属に就任し、楠本正隆県令に仕えた。楠本が東京府知事に転じると、1876年、同府少書記官に就任。1883年6月、神奈川県大書記官に転じた[1][3]。
1893年(明治26年)3月21日、山梨県知事に就任。1894年(明治27年)にコレラ・赤痢が山梨県内に流行し、その防疫に尽力[1][3]。また、1895年(明治28年)6月に甲府測候所を新設した[1]。1896年(明治29年)8月12日に山梨県知事を依願免本官となり退官[4]。その後、横浜に閑居し[1]、同地で卒去した[2]。
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