田坂専一

日本の陸軍軍人 ウィキペディアから

田坂 専一(たさか せんいち、1892年11月8日 - 1979年12月31日)は、日本陸軍軍人陸士27期[1]陸大38期[2]。最終階級は陸軍中将[3]

概要 田坂 専一, 生誕 ...
田坂 専一
生誕 1892年11月8日
日本 愛媛県
死没 (1979-12-31) 1979年12月31日(87歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1915 - 1945
最終階級 陸軍中将
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輜重兵科出身の陸軍中将14名の一人(輜重兵科から陸軍大将は出ていない[4][4]。戦後に67歳で中央大学法学部を卒業している。

経歴

愛媛県出身[1]。農業・田坂儀平の長男[1]。西条中学校(現:愛媛県立西条高等学校)を経て、1915年(大正4年)5月、陸軍士官学校(27期)を卒業[1]。同年12月、輜重兵少尉に任官、輜重兵第2大隊[1]1926年(大正15年)11月、陸軍大学校(38期[2])を卒業した[1]

陸大卒業後は、輜重兵第2大隊中隊[1]教育総監部付勤務[1]、陸士教官[1]留守第9師団参謀[1]第9師団参謀[1]、陸大教官[1]を経て、1937年(昭和12年)7月、支那駐屯軍参謀に発令されて[1]日中戦争に出征、さらに第2軍参謀となった[1]1938年(昭和13年)3月、輜重兵大佐に進級し陸軍自動車学校付となる[1]。陸大教官[1]、自動車第4連隊[1]輜重兵監部[1]、輜重兵監部付[1]を歴任し、1941年(昭和16年)3月[1]、陸軍少将に進級[1]

太平洋戦争第5軍参謀長(1941年(昭和16年)4月に補任[1])として迎えた[1]関東防衛軍参謀長[1]第2方面軍兵站監を務め[1]、1944年(昭和19年)10月、陸軍中将に進級して昭南防衛司令官に補され、終戦を迎えた。1946年(昭和21年)7月に復員した[1]1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]

1960年(昭和35年)9月、中央大学法学部を卒業した[1]

著書

  • 輜重兵史刊行委員会編『輜重兵史』上下、輜重兵会、1979年[1][注釈 1]

脚注

参考文献

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