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344-386, 中国、東晋の書家 ウィキペディアから
王 献之(おう けんし、344年 - 386年)は、中国東晋の書家。字は子敬。王羲之の七男。中書令となったことから世に王大令とも呼ばれる。
書道の大家で、父の王羲之とともに二王(羲之が大王、献之が小王)あるいは羲献と称される。王羲之の諸子はみな能書家であり、王献之は最年少であるが書の天分に恵まれ、王羲之の書より逸気に富んでいるといわれているが、骨格だけは父には及ばないといわれている。
王献之の書の特徴の一つとして一筆書(いっぴつしょ)があげられる。一筆書とは中秋帖などに見られる続け書き(連綿)のことで、この書風は王鐸や米芾などに影響を与えた[1]。
代表的な作として次のものが挙げられる。
書体は行書。 遼寧省博物館に現存する模写本万歳通天進帖に収録されている。来歴を唐時代まで遡ることのできる唯一の王献之の書跡であり、最も信頼性が高い。
書体は楷書。王献之は楷書をもよくした。王献之の小楷を伝える作はこれだけである。この賦は魏の曹植の文で、王献之の書いたものは前後を欠き、中間の13行だけが南宋時代に刻された石刻とその拓本として遺存している。なお、王羲之の書いた作(同じく楷書)もあったという。
書体は行草体。米芾が収蔵し真跡として尊重したので有名である。米芾自身が制作した石刻の断片拓本が残っている。完全な形としては、宝晋斎帖に収録されている。
書体は行書。宋の高宗の書簽がある。その後、文徴明蔵となり、現在は台東区立書道博物館(東京都)蔵。紙本墨書の搨模本。淳化閣帖にも収録されている。
書体は行草体。行のはじめに「中秋」の文字があるのでこの名がある。前後が欠け、中間3行(22文字)が残るだけである。一筆書の連綿体による華麗さがあり、また筆勢に気魄がある。北京・故宮博物館蔵。
王献之も父と同じく次のような逸話がある。
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