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狭井氏(佐為氏)は饒速日命の子孫と言われており、物部氏が改氏した石上朝臣と同祖とされている。『播磨国風土記』には、仁徳天皇の時代に狭井連佐夜(さい の むらじ さや)の物語が掲載されている[1]。また『続日本紀』巻第一には、文武天皇の時代の700年に、刑部親王(忍壁皇子)以下19人とともに大宝律令の撰定者となり、その功績によって禄を与えられた狭井宿禰尺麻呂(さい の すくね さかまろ)の名が挙げられている[2]。
檳榔の名前が初めて登場するのは、『日本書紀』巻第二十七斉明天皇7年8月(661年)の項目である。
とあるのに続けて、「或本に此の末に続ぎて云はく」と断った上で、
という箇所である。ここで「遣」と「使」の文字が使い分けられているが、前者は人員をさいて送るといったニュアンスがあり、後者には役目を与えて送るという意味が含まれている。
斉明天皇7年と記述してあるが、『書紀』巻第二十六によると、この年の7月24日に天皇は崩御している[4]。8月1日に皇太子、葛城中大兄皇子(のちの天智天皇)は喪のために筑前国の朝倉宮(あさくらのみや、現在の福岡県朝倉市山田)から磐瀬行宮(いわせのかりみや)、別名長津宮(ながつのみや、現在の福岡市三宅)へ遷幸されていた。この地は那津(博多)に近く、水軍を動員するのにも便利でもあった。「鬼」が大笠を着て、朝倉山の上から喪の儀式をのぞき込んでいた、という話も伝わっている[5]。さらに皇子たちは10月1日に海を渡り[6]、23日に難波にかえりついた[7]。11月7日に殯を飛鳥の川原で行っている[8]。
その一方で、『書紀』巻第二十七の記述では、中大兄皇子は9月に長津宮から百済の王子(せしむ)余豊璋に冠位十九階の織冠(おりものこうぶり)を授け、さらに(太安万侶の祖父である)多臣蒋敷(おお の おみ こもしき)の同母妹と結婚させている。さらに、
乃(すなは)ち大山下狭井連檳榔・小山下秦造田来津を遣(つかは)して軍(いくさ)五千余(いつちぢみあまり)を率(ゐ)て、本郷(もとつくに)を衛(まも)り送らしむ(兵5000を率いて百済の王子余豊璋(よほうしょう)を本国に護送した)。[9]
とある。
この年の12月、高句麗でも唐軍の侵入を許していたが、逆に2つの城を奪い、唐の兵は高句麗の極寒の気候に凍え、進軍を防いでいた[10]。
一方では播磨国狭夜郡(さよぐん)から祟りのあるという魔剣が朝廷に献上されたり、前線では百済・高句麗が滅びるという不吉なきざしも現れたりしていた[11]。662年、翌天智天皇元年3月(大陸の記録では2月)、新羅軍が高句麗に侵入し、大和政権軍は高句麗の要請を受け、援軍を派遣した。そのため、新羅は唐軍の援助を得られず、攻略は失敗に終わった[12]。
5月、阿曇比羅夫等は船師(ふないくさ)170艘を率いて、豊璋・途中で加わった鬼室福信らを百済に送り、豊璋を百済王位につけた[13]。
同年12月、豊璋と福信らは、狭井連(檳榔)と朴市田来津(えち の たくつ=秦田来津)とともに論議を重ねていた。
「州柔(つぬ、周留城)では土地がやせているため、兵粮がつきてしまう。避城(へさし)なら西北に川があり、東南には堤があり、一面が田(畑)で、溝を掘れば雨水もたまる。華も実もある作物に恵まれ、三韓のうちでもすぐれたところである。衣食の源があれば天地に近いところで地形が低いといっても、都をうつすべきだ」
というのが豊璋らの主張で、田来津らは、
「土地が低いというのが難点であり、食糧よりも敵が近くにいることの方が重要で、今は険しい山に囲まれた要衝である州柔にとどまるべきだ」
と反対したが、及ばなかった[14]。田来津らが心配したように、新羅の侵攻を防ぐことができず、663年、豊璋たちは州柔に戻らなければならなくなった[15](このことは、『三国史記』新羅本紀文武王3年2月条にも描かれている)。
その翌月には上毛野君稚子(かみつけ の きみ わかこ)、巨勢神前臣訳語(こせのかむさき の おみ おさ)、阿倍引田臣比羅夫ら(あべのひけた の おみ ひらふ)の率いる日本からの援軍2万7千人が到着し、新羅を討った[16]。唐側からも増援軍7千が到着した。
そんな折、鬼室福信に謀叛の疑いがあるとして、豊璋は福信を処刑してしまった[17]。
かくして、白村江の戦いへと突入していった。この戦いでは朴市秦田来津が戦死しているが、檳榔がどうなったのかは描かれてはいない[18]。
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