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片岡 直次郎(かたおか なおじろう)は、江戸時代後期に実在した日本の小悪党、無頼漢である[1][2]。通称・異名を直侍(なおざむらい)という[1][2]。講談・歌舞伎の題材とされ、『天保六花撰』に描かれる人物である[1][2]。
1793年(寛政5年)、旗本渡り用人の家の次男として生まれる[1][2]。江戸・四谷に住んだ[2]。
詐欺、ゆすり・たかり(恐喝)を常習とする無頼の人物であり、仲間の河内山宗俊(河内山宗春とも)とともに1823年(文政6年)に捕らえられ、河内山は獄死したが[1][3]、直次郎は翌年1824年(文政7年)、追放処分を受けた[1]。
その後、恐喝行為を繰り返したため、再び捕らえられ、1832年12月14日(天保3年11月23日)、千住・小塚原刑場で刑死した[1][2]。享年40(満38-39歳没)。吉原遊廓・大口屋の遊女であった三千歳(1813年 - 1884年)が、小塚原の回向院に墓を建立した[1]。
没後、二代目松林伯圓(1834年 - 1905年)が講談『天保六花撰』に書き起こし、演じた[4]。のちに河竹黙阿弥が歌舞伎にとりあげ、『雲上野三衣策前』を書き、1875年(明治7年)10月、東京・木挽町(現在の東京都中央区銀座4丁目)の河原崎座で初演された[5]。1881年(明治13年)3月には、東京・新富町(現在の東京都中央区新富2丁目)の新富座で、同じく河竹黙阿弥作の『天衣紛上野初花』(通称『河内山と直侍』)が初演され、河内山を九代目市川團十郎、直侍(直次郎)を五代目尾上菊五郎が演じた[6]。以降、映画・テレビ等でも多く取り上げられるところとなる。
歌舞伎で「片岡直次郎」(直侍)を演じたおもな俳優の一覧である。生誕順。
日本映画データベース、キネマ旬報映画データベース等にみられる「片岡直次郎」(直侍)の登場する劇映画一覧である。末尾の俳優が直次郎(直侍)を演じた。
テレビドラマデータベース等にみられる「片岡直次郎」(直侍)の登場する劇映画一覧である。末尾の俳優が直次郎(直侍)を演じた。
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