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中国の鉄道路線 ウィキペディアから
京広線の漢西駅から北西へ向かい、随州市を経て襄陽市(元襄樊市)で焦柳線と交差し、老河口東から丹江口市へ至る路線である。襄樊~老河口東(元莫家営)間は襄渝線と共用であり、武漢~襄樊間は襄渝線と併せて武漢と重慶を結ぶ幹線である。漢西/漢口~老河口東間が複線電化され、老河口東~丹江間は単線非電化で、全線416km(漢西~丹江間[1])が武漢鉄路局管轄である[2]。
1958年9月に湖北省委員会は漢口~丹江口間に地方鉄路を作る事に決定し、漢丹鉄路修建指揮部を成立させ、10月に東西両端から着工した[3]。1959年5月には民工が農繁期に入ったのと資金不足から東側の武漢~襄樊間は工事を中断した[3]。西側の襄樊~丹江口間は工事を継続し、1960年6月1日に開通した[3]。1960年2月に資金と人手を集めて東側の工事を再開し、年末には路盤まで建設した[3]。1961年11月には随県まで、1962年3月には唐県鎮まで建設されたが、残りの唐県鎮~襄樊間は再び工事を中止した[3]。1963年1月に東側は湖北省地方鉄路から国営に移管し、1965年3月に残りの区間を着工、10月には線路が敷設されて全線開通した[3]。1966年1月1日に開通式典が行われ、襄樊~丹江口間も国営に移管した[3]。
1973年10月19日に襄渝線が全線開通し[4]、1978年6月1日に正式営業開始した[5]。2002年9月に単線のまま最高速を時速140kmと速度向上させた[6]。2004年12月に武漢~襄樊間を、2005年7月6日に襄樊~老河口東間の複線化工事を着工した[7]。2007年1月28日に漢口~新溝間が複線化された[8]。2008年8月11日に隔蒲~雲夢間が、8月27日に棗陽~琚湾間が複線化された[9]。2009年6月に武漢~襄樊間全線が複線化され[6]、7月28日に武漢~襄樊間の電化が完成し[10]、10月31日には襄渝線の複線電化に伴い襄樊~老河口東間が複線電化された[11]。2010年9月13日に武漢~襄樊間全線の踏切が全て立体化された[6]。老河口東~丹江間は2000年に旅客輸送を停止し、貨物輸送のみ行っていたが、複線電化する計画がある[12]。
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