源等
日本の歌人 ウィキペディアから
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源 等(みなもと の ひとし)は、平安時代前期から中期にかけての公卿。嵯峨源氏、中納言・源希の次男。官位は正四位下・参議。小倉百人一首では参議等。
寛平9年(897年)醍醐天皇が践祚すると、等は六位蔵人に任ぜられる。近江権少掾・主殿助の兼帯を経て、延喜4年(904年)従五位下に叙爵し、翌延喜5年(905年)大蔵少輔に任ぜられる。延喜7年(907年)三河守に遷ると、丹波守・美濃権守・備前守と地方官を歴任し、この間に治国の功労により延喜12年(912年)従五位上、延喜23年(923年)正五位下に昇叙され、同年10月には左中弁に補任されている。醍醐朝末の延長8年(930年)従四位下に昇叙された。
朱雀朝では、大宰大弐・弾正大弼・山城守・勘解由長官を歴任し、天慶6年(943年)従四位上、天慶8年(945年)右大弁に叙任される。
村上朝初頭の天暦元年(947年)参議に任ぜられ公卿に列す。天暦5年(951年)正月に正四位下に昇叙されるが、同時に議政官として兼帯していた右大弁・勘解由長官・讃岐守の官職を全て辞任し、同年3月10日に薨去。享年72。最終官位は参議正四位下。
勅撰歌人として『後撰和歌集』に4首が採録されている。そのうち「東路の 佐野の舟橋 かけてのみ 思ひわたるを 知る人ぞなき」(恋二 619)は、本阿弥光悦作『舟橋蒔絵硯箱』の蓋の意匠に取り入れられたことで知られる[1]。
『公卿補任』による。
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