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日本のプロダクトデザイナー (1911-2013) ウィキペディアから
渡辺 力(わたなべ りき、1911年7月17日[1] - 2013年1月8日)は、日本の昭和時代を代表するプロダクトデザイナー。「インテリア・デザインの開拓者」[2]、「ジャパニーズデザインのパイオニア」[3]と呼ばれる。「デザイン」という言葉がまだ日本に存在しなかった戦前の1930年代後半から活動し[4]、戦後間もない頃には剣持勇・柳宗理らと共に日本におけるモダン・デザインの礎を創った[5]。
建築評論家の宮内嘉久の評によれば、渡辺力の作風は、ミース・ファン・デル・ローエの「レス・イズ・モア」(簡素は豊か)を体現するような「密度の高い簡潔さ」を基礎としており、しかも退屈さに陥らずに、気品や香気が漂っているという[6]。宮内は、モダン・デザインを日本で確立した代表的な人物を挙げるとすれば、渡辺力・剣持勇・柳宗理の3人であろうとしている[7]。宮内は渡辺のアカデミックな要素も高く評価しているが、渡辺本人は自身は職人型であると主張している[8]。
川添康子によれば、渡辺は訥々とした語り口の人物で、素朴な人柄であったという[9]。躁鬱な傾向のある剣持勇とは性格は正反対ではあるが、そのために逆に仲が良かったと渡辺本人は回顧している[10]。
東京高等工芸学校(後の千葉大学工学部)では建築学研究者の野村茂治に敬愛をもって師事し、ジードルング・バウハウス・ウィーン工房などのドイツ・オーストリアの建築学や、ロシアの革命家・芸術評論家のアナトリー・ルナチャルスキーの美学を学んだ[11]。また、チャールズ・イームズやジョージ・ナカシマを尊敬し、ルイス・バラガンにも興味を持っていた[12]。一方で、フランク・ロイド・ライトやポストモダン建築、アントニ・ガウディなどは苦手であるという[13]。この他、宗教というよりは人生観・哲学としての禅に興味を持ち、中学生時代から参禅した[14]。渡辺の作品のシンプリシティ・簡潔さには禅の影響が現れているという[14]。
1972年、東京都日比谷にある第一生命本社前にパブリッククロック(公共の時計)が設置されたが、そのポール時計をデザインした[15]。そのデザインは以降のパブリッククロックにも多大な影響を与えた。第一生命技術顧問を務めた建築家の松本与作や、東宮御所や帝国劇場を設計した建築家の谷口吉郎、1964年東京オリンピックのデザインを監修した美術評論家の勝見勝らから称賛され、渡辺自身も「私の会心作」と称するなど、自他ともに認める代表作とされる[15]。また2012年には、ウォールクロックとしてリデザインされ発売などもされている[16]。
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