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日本の文化人類学者・翻訳家 ウィキペディアから
渋谷 節子(しぶや せつこ、1966年〈昭和41年〉7月8日 - )は、日本の文化人類学者・翻訳家。福知山公立大学教授。出生名は小和田 節子(おわだ せつこ)。
1966年(昭和41年)7月8日、スイス連邦のジュネーヴ市で、当時在ソ連日本国大使館一等書記官・小和田恆の三女として生まれた。長姉は雅子であり、節子の双生児として生まれた次姉が礼子である。生後しばらく同国ベルンの在スイス日本国大使館大使公邸で育てられた。
1969年(昭和44年)、父の恒が国際連合日本政府代表部に赴任したため、一家でアメリカ合衆国・ニューヨーク州に住んだ。2歳から4歳までの2年間で同州ニューヨーク市の2つの幼稚園に通った。田園調布雙葉小学校、田園調布雙葉中学校・高等学校を経て、1991年(平成3年)、東京大学文学部英語英米文学科卒業後、本田技研工業に入社。二輪本部北米部に配属されてカナダに駐在した。
本田技研工業に2年間勤めた後の1992年(平成4年)、異文化理解・文化摩擦・人種問題などに興味を持って東京大学教養学部教養学科に学士入学し、文化人類学を学んだ。卒業後はハーバード大学大学院社会人類学専攻博士課程に入学して「ベトナム農村の家族と社会変容」を研究し、人類学博士号を取得。ジュネーブ現代アジア研究所客員研究員を経て[2]、東京大学非常勤講師(2009年 - 2011年)、国際基督教大学非常勤講師(2011年 - 2012年)、早稲田大学非常勤講師(2013年 - 2015年)を歴任した[3]。その間、1997年(平成9年)に翻訳家として初の著書を出版した[4][5]。2013年(平成25年)4月、星槎大学共生科学部教授に就任した[1]。
1999年(平成11年)、ハーバード大学大学院在学中に出会った同大学院生の邦人医師・渋谷健司と米国ボストンにて結婚した[7][8][9][10]。2017年に離婚した[11]。離婚後も、教員を務める大学の公式サイト(2019年5月現在)[12]・著書(2019年3月に刊行[13])[14]において、「渋谷節子」の氏名を用いている。
他は
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