浅見真州
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浅見 真州(あさみ まさくに、本名:浅見真広、1941年(昭和16年)6月17日 - 2021年(令和3年)7月13日)は、能楽師、(シテ方観世流)である[1]。重要無形文化財総合認定保持者で、日本国の日本芸術院賞、紫綬褒章及び旭日小綬章並びに仏国芸術文化勲章の受章者[1]。
概説
1941年(昭和16年)、浅見真健の五男として東京都に生まれる[2]。父および観世寿夫、八世観世銕之亟に師事[2][3]。4歳の時に『雲雀山』の子方で初舞台、16歳の時に『敦盛』で初シテ[2]。能の源流を探るとともに他分野と積極的に交流し、能楽界に新風を吹かせた師を見習うように、復曲・新作・実験的上演にも積極的に取り組み、復曲『重衡』、『鐘巻』(『道成寺』の原曲)、『常陸帯』、『綾鼓』ほかを上演[1][2]。喜多流の友枝昭世師との復曲『舞車』は異流競演の先駆けとなった[2]。興福寺中金堂再建に際し、15年間延べ30番の勧進能を奉納、日経能楽鑑賞会では、同じ曲を異流で演じ、喜多流の友枝昭世、金剛流の金剛永謹らとともに、流派による演出の違いを観客に伝えるなど能楽界に貢献した[1][2]。銕仙会所属[3]。代々木果迢会同人[2]。浅見真州の会を主宰[2]。観世寿夫記念法政大学能楽賞、芸術選奨文部科学大臣賞、日本芸術院賞などを受賞。紫綬褒章、旭日小綬章を受章[2]。2018年には仏国芸術文化勲章シュヴァリエを受章[3]。 法政大学文学部日本文学科卒業[4]。重要無形文化財総合指定保持者[2]。
主な舞台・略歴
脚註
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