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中国福建省の地級市 ウィキペディアから
泉州市(せんしゅうし、拼音: チュエンヂョウシー、閩南語白話字:Chôan-chiu-chhī ツアンチューチー)は中華人民共和国福建省に位置する地級市である。居住人口は約865万人(2017年)で、福建省で最多の人口を持つ。かつては海上交易の中心地として繁栄し、イブン・バットゥータやマルコ・ポーロはこの都市(ザイトン、イタリア語: Zaiton[2]、閩南語: 刺桐)の繁栄を記録に残している。ザイトンは街路樹のアブラギリがある街とアラビア人が命名し、ヨーロッパに伝わった名前。五代十国時代の中期から後期、晋江王留従効によって建てられた清源軍(平海軍)政権はここに定都し、そのため「千年の古都」[3][4][5][6]と「閩南の古都」[7][8][9]と称される。2021年、泉州市は「泉州:宋元中国の世界海洋商業貿易センター」として、世界文化遺産の一つに登録された[10]。
中華人民共和国 福建省 泉州市 | |
---|---|
洛陽橋 | |
福建省中の泉州市の位置 | |
中心座標 北緯24度55分 東経118度35分 | |
簡体字 | 泉州 |
繁体字 | 泉州 |
拼音 | Quánzhōu Shì |
カタカナ転写 | チュエンヂョウ シー |
閩拼 | Chôan-chiu-chhī |
閩東語 | Cuòng-ciŭ-chi |
国家 | 中華人民共和国 |
省 | 福建 |
行政級別 | 地級市 |
政府所在地 | 豊沢区 |
市委書記 | 張毅恭 |
市長 | 蔡戦勝 |
面積 | |
総面積 | 11,015 km² |
人口 | |
総人口(2017) | 865 万人 |
経済 | |
GDP(2017) | 7,548 億元 |
一人あたりGDP | 87,260元 |
電話番号 | 595 |
郵便番号 | 362000 |
ナンバープレート | 閩C |
行政区画代碼 | 350500 |
市花 | 刺桐花、含笑花[1] |
公式ウェブサイト: http://www.fjqz.gov.cn/ |
泉州は別名鯉城、刺桐、温陵とも言い、福建省東南部にある。市内に戴雲山脈があり、晋江が流れる。近隣の都市としては、約150キロメートル北東の福州、75キロメートル南西の廈門などが挙げられる。
春秋時代(前770年-前403年)に、越(前600年-前334年)の領土となった。
戦国時代(前475年-前221年)になると、前306年に楚が越を滅ぼし、百越の土地に越人が流れ込み閩越(前306年-前110年)が成立。
秦代(前221年-前207年)の前222年に閩中郡を設置、開発が行われこの土地に本格的な行政区が設定された。
260年(永安3年)に呉により東安県(現在の南安市)が設置された。
西晋(265年-316年)末に発生した中原における戦乱(八王の乱)により中原より移民が多く流入し、中原の先進的な技術や文化をこの地に伝えている。
南朝梁の天監年間(502年-519年)には南安郡の郡治が設置された。
589年に隋が泉州と改称した。606年に閩州に戻され、607年に建安郡と改称されて郡制が施行された。
唐代(618年-907年)に州制が施行されると700年(久視元年)に武栄州が設置され、711年(景雲2年)に再び泉州と改称され現在までこの名称が使用されている。唐代にはベトナムやインド、アラビア半島にまで及ぶ海上交易ルートが確立し、明州や広州と並ぶ貿易港となった。760年の揚州大虐殺や、878年の広州大虐殺の影響で、西方への国際貿易が泉州や福州に集中した。
909年に王審知が福州で閩国を建国。しかし、その後の内乱で福州の治安が悪くなると、泉州に国際貿易が集中するようになった。
945年、南唐は閩国を攻め滅ぼしましたが、泉州は自治を維持しました。947年、留従効が支配する泉州は南唐から事実上の独立を得ました。949年、南唐は清源軍を設置し、泉州と南州(漳州)を管轄し、留従効を清源軍節度使に任命し、後に留従効を晋江王に封じました。964年、北宋はそれを平海軍と改名しました。清源軍は事実上独立した割拠政権であり、4主29年(949年-978年)の歴史があり、その領域は現在の閩南と莆田を含み、泉州がその首都でした。留従効が泉州を統治する際、海外貿易を大力に拡大し、泉州城を拡張し、城内に刺桐樹を植えるよう命じました。泉州は「刺桐城」として世界的に有名になりました。978年、平海軍節度使の陳洪進は北宋に投降するよう強制され、史称「泉漳納土」です[11][12][13]。
1279年に崖山の戦いで南宋(1127年-1279年)が滅亡すると、元朝(1271年-1368年)に協力したアラブ人の蒲寿庚が重用され港湾都市として発展した。「陶磁の道(海のシルクロード)」の拠点として漢人のほかにもアラブ人やペルシャ人などが居住する国際都市として発展し、『アラビアンナイト』にも「船乗りシンドバッド」の住む舞台として登場する事からも中世イスラム世界にも知られた都市であったことが推察され、またマルコ・ポーロの『東方見聞録』には「ザイトン[14]」の名称で紹介されている。14世紀にはイブン・バットゥータも訪れ、『三大陸周遊記』に約100艘の大型ジャンクと数え切れないほどの小型船が停泊する「世界最大の港」と記している。
明代(1368年-1644年)には海岸線の後退に伴い港湾都市としての機能が失われ、海上交易の中心地は長楽[15]や廈門などに移行していった。一方で、永楽帝の治世の頃から、鄭和が当時南洋と呼ばれた東南アジアの呂宋国(現フィリピン)、マジャパヒト王国(現インドネシア)、マラッカ王国(現マレーシア)との貿易を海賊から保護したため、南洋へ労働者として赴き、華僑、華人となった人も多くでた(南洋貿易)。泉州は琉球からの貿易船の指定港でもあり、商館「来遠駅(泉州琉球館)」があったが、1472年に福州に移った[16]。
現地では、南安、恵安、永春、晋江など、出身地ごとに同郷コミュニティーを作り、会館を建てて、経済的や人的サポートを行った。中には、ゴムのプランテーション、食品加工、新聞発行などで、財をなした者もいた。
4市轄区・3県級市・5県を管轄する。
泉州は福建省の経済中心地であり、GDPは23年間に渡って福建の第一位であった(1999年-2021年)。安渓県は中国屈指の烏龍茶の産地であり、ほかにも晋江市などの靴(中国の3大産地の一つ)、南安市の石材、徳化県などの磁器(中国の3大産地の一つ)、永春県の酢(中国の4大名酢の一つ)などを有する。
閩南語を用いた伝統芸能が盛んである。無形文化財に相当する「国家級非物質文化遺産」に指定されている「南音」、「泉州北管」、「泉州拍胸舞」、「梨園戯」、「高甲戯」(柯派)、「泉州提線木偶戯」、晋江布袋木偶戯(指人形劇)、恵安の石彫り、泉州花灯、徳化磁器の焼き物技術、恵安の女服飾、打城戯、五祖拳、水密隔艙福船製造技術、烏龍茶製造技術、閩南伝統民家建築技術、霊源の時茶、南安英都抜抜灯、蟳埔の漁村女性の習俗、泉州(李尭宝)刻紙(切り紙絵)、木の人形の頭の彫刻、安海嗦囉嗹の習俗などがある。
下記の高等教育機関を有す
10世紀から14世紀にかけて、泉州市が東アジアおよび東南アジアの海上貿易ネットワークの拠点として繁栄していたため、市内には11世紀のモスク、ムスリムの墓、行政庁舎、石造りの埠頭、製陶と製鉄の遺跡、古代の交通網と橋、パゴダ、石碑などの様々な考古遺跡が見られる。第44回世界遺産委員会拡大会合で2021年7月25日、中国政府が推薦した「泉州:宋元中国の世界海洋商業貿易センター」(遺産地点16ヶ所、ID:1561rev)を審議し、「世界遺産リスト」への登録を決定した[10]。
UNESCO公式サイトによると、16ヶ所の資産からなる[19]。
この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。
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