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日本のサッカー選手 (1985-) ウィキペディアから
永里 源気(ながさと げんき、1985年12月16日 - )は、神奈川県厚木市出身のサッカー選手。ポジションはフォワード(FW)、ミッドフィールダー(MF)。
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名前 | ||||||
愛称 | ゲンキ[1] | |||||
カタカナ | ナガサト ゲンキ | |||||
ラテン文字 | NAGASATO Genki | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1985年12月16日(38歳) | |||||
出身地 | 神奈川県厚木市[2] | |||||
身長 | 178cm | |||||
体重 | 69kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF[3] / FW[4] | |||||
利き足 | 右足[5] | |||||
ユース | ||||||
2001-2003 | 湘南ベルマーレユース | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2004-2008 | 湘南ベルマーレ | 102 | (9) | |||
2009 | 東京ヴェルディ | 36 | (2) | |||
2010 | アビスパ福岡 | 35 | (15) | |||
2011-2012 | ヴァンフォーレ甲府 | 41 | (4) | |||
2011 | → FC東京 (loan) | 8 | (2) | |||
2013 | ガイナーレ鳥取 | 34 | (10) | |||
2014-2015 | ラーチャブリーFC | 63 | (16) | |||
2016-2017 | ポートFC | 68 | (16) | |||
2018-2019 | 東京ユナイテッドFC | 18 | (4) | |||
2020-2022 | はやぶさイレブン | |||||
通算 | 405 | (78) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
小学1年からサッカーを始め、中学進学後はヴェルディジュニアユースに入団。2001年より湘南ベルマーレユースに移る。2003年には神奈川県選抜として国民体育大会サッカー競技に出場。得点王と優秀選手賞を受賞し、優勝に貢献した[6]。
2004年より湘南のトップチームに昇格[6]。左右を問わずサイドバック、サイドミッドフィルダーとしてプレーし[7]、2006年からは本職のFWとしても試合に出場するようになった。
自身22歳の誕生日である2007年12月16日に入籍。翌2008年に一児の父となった[7]。
2009年、ジュニアユース時代に所属していた東京Vへ移籍[8]。積極果敢にゴールに絡む思い切りの良いプレーを見せていたが[9]、「家族の事を考え」1年で退団した[10]。
2010年にはアビスパ福岡へ移籍[11]。相手の背後を付くスピードを発揮し[12]、第36節岐阜戦でのJ1昇格を決定付ける2得点を含め[13]、リーグ戦で15得点を挙げた(得点ランキング4位)。
サイドでの鋭い突破力を買われ[14]、2011年からはヴァンフォーレ甲府へ移籍[15][5]。自身初となるJ1での戦いとなり、序盤は先発出場を続けていたが、7月に入ってFWパウリーニョが先発復帰したことを境に出場機会を失った[16]。
同年8月、FC東京へ期限付き移籍[17][18]。ジョーカー役としての加入だったため[19] 出場機会は多くなかったものの、2得点を挙げた(90分間での平均得点数ではリーグ最高を記録[20]。)。同年限りで移籍期間を満了し退団[21]。
2012年は甲府に復帰[22]。第39節福岡戦では決勝点を挙げ、甲府にJ2優勝の初タイトルをもたらした[23]。
2013年よりガイナーレ鳥取に移籍[24][25]。開幕直前の靭帯損傷によって[26]、初得点は第18節横浜FC戦と出遅れたが[27]、その後復調しチーム最多となる10得点を記録。シーズン半ばより主将を担い[28] チームを牽引したが、J3への降格を喫した。
2014年よりタイ・プレミアリーグのラーチャブリーFCに移籍[29]。第1節スパンブリーFC戦では移籍後初出場にして決勝点を挙げた。
2016年、ポートFCへ移籍[30]。 2017年12月にはJリーグ合同トライアウト出場した[31]。
2018年、東京ユナイテッドFCへ移籍[32]。
2020年、神奈川県社会人サッカーリーグ2部のはやぶさイレブンへ移籍[33]。同年9月には、妹の永里優季もはやぶさイレブンにレンタル移籍し、兄妹が男子チームに同時に在籍する初のケースとなった[34]。
2021年、選手としてプレーしながら(株)Happinectを設立。2022年には厚木市に「放課後等デイサービス Athletic club ハートフル」を開設した[35]。2023年1月28日に契約満了での退団が発表された[36]。
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2004 | 湘南 | 30 | J2 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | |
2005 | 31 | 2 | - | 1 | 0 | 32 | 2 | ||||
2006 | 14 | 26 | 3 | - | 1 | 1 | 27 | 4 | |||
2007 | 39 | 3 | - | 2 | 0 | 41 | 3 | ||||
2008 | 6 | 1 | - | 0 | 0 | 6 | 1 | ||||
2009 | 東京V | 18 | 36 | 2 | - | 1 | 0 | 37 | 2 | ||
2010 | 福岡 | 14 | 35 | 15 | - | 3 | 0 | 38 | 15 | ||
2011 | 甲府 | 9 | J1 | 14 | 0 | 2 | 0 | - | 16 | 0 | |
FC東京 | 17 | J2 | 8 | 2 | - | 0 | 0 | 8 | 2 | ||
2012 | 甲府 | 14 | 27 | 4 | - | 1 | 0 | 28 | 4 | ||
2013 | 鳥取 | 26 | 34 | 10 | - | 0 | 0 | 34 | 10 | ||
タイ | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
2014 | ラーチャブリー | 14 | TPL | 32 | 8 | 32 | 8 | ||||
2015 | 31 | 8 | 31 | 8 | |||||||
2016 | ポート | 18 | Div1 | 34 | 8 | ||||||
2017 | 34 | 8 | |||||||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2018 | 東京U | 10 | 関東1部 | 15 | 4 | - | - | 15 | 4 | ||
2019 | 9 | 3 | 0 | - | - | 3 | 0 | ||||
2020 | はやぶさ | 神奈川2部 | - | ||||||||
2021 | - | ||||||||||
2022 | 神奈川1部 | - | |||||||||
通算 | 日本 | J1 | 14 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 16 | 0 | |
日本 | J2 | 242 | 42 | - | 9 | 1 | 251 | 43 | |||
日本 | 関東1部 | 15 | 4 | - | - | 15 | 4 | ||||
日本 | 神奈川1部 | - | - | ||||||||
日本 | 神奈川2部 | - | - | ||||||||
タイ | TPL | 121 | 32 | 121 | 32 | ||||||
総通算 | 334 | 62 | 2 | 0 | 9 | 1 | 345 | 63 |
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