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日本の作曲家 ウィキペディアから
永冨 正之(ながとみ まさゆき、1932年10月13日[1]-2020年12月17日[2])は、日本の現代音楽の作曲家、音楽教育家[1]。東京芸術大学名誉教授。永富正之とも表記される[3]。妻はピアニストの永冨和子[1]。
1932年兵庫県西宮市生まれ[1]。東京芸術大学音楽学部作曲科に学び、池内友次郎、伊福部昭に師事[1][3]。一級下に作曲家の助川敏弥がいる[4]。1954年に管弦楽作品「演奏会用アレグロ」が第23回日本音楽コンクール作曲部門第3位に入選する[5][6][7]。1955年卒業[1]。
1959年フランスに留学、パリ国立高等音楽院に学び、トニー・オーバン、アンリエット・ピュイグ=ロジェに師事[1]。ピュイグ=ロジェに師事した外国人学生は永冨が第1号であった[8]。同時期に留学していた作曲家には篠原眞がいる[9]。永冨は1960年フーガのクラスで1等賞を得る[9]。1963年には作曲科1等賞、ピアノ伴奏科2等賞を得る[1]。1964年、パリに留学していたピアニストの関原和子と結婚[10]。当時日本から留学していた音楽家たちは親しく交流していた[11][12]。1968年には「日本人演奏家によるフランスと日本の音楽」と題された演奏会で、永冨の「ピアノのための3つのエスキス」、甲斐直彦「ピアノのための序曲」、丹波明「万葉より5つの詩」を、永冨和子らが演奏している[13]。
1969年に帰国後、東京藝術大学にて教鞭を執り[14]、1970年助教授、1984年教授に就任し、作曲とソルフェージュの教育に携わる[1]。1979年にはアンリエット・ピュイグ=ロジェの芸大客員教授招聘に尽力した[15]。1991年より1997年まで附属音楽高等学校校長を兼務する[1][16]。2000年に定年退職[14]後は、聖徳大学人文学部音楽文化学科教授を2007年まで務め、後に非常勤講師となる[1]。
音楽理論書を多数出版。1990年、フランス教育功労章シュヴァリエを受章[1][17][18]。日仏音楽協会、日本現代音楽協会会員[1]。教え子には野平一郎[19]、小鍛冶邦隆[20]、横山幸雄[21]、阿部加奈子[22]らがいる。
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