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日本の江戸時代の大名、肥前唐津藩の第2代藩主 ウィキペディアから
水野 忠鼎(みずの ただかね)は、江戸時代中期から後期にかけての大名。肥前国唐津藩2代藩主。忠元系水野家9代。水野忠邦の祖父である。
延享元年(1744年)、安芸国広島藩6代藩主・浅野宗恒の次男として誕生する。明和4年(1767年)9月18日、唐津藩初代藩主・水野忠任の養子となる。同年11月1日、10代将軍・徳川家治に拝謁する。同年12月16日、従五位下・左近将監に任官する。安永4年(1775年)9月23日、忠任の隠居により、家督を継いだ。
安永8年(1779年)8月12日、幕府の奏者番に就任した。藩政においては二本松義廉を登用して財政改革を行なったが、天明の大飢饉に見舞われて失敗に終わった。享和元年(1801年)に藩校・経誼館を設置している。
父母
正室
子女
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