京都府城陽市水主宮馬場にある神社 ウィキペディアから
由緒によると、現在祀られている祭神は以下の十柱であるとする。
しかし、『全国神社祭祀祭礼総合調査』によると、祭神は以下の五柱とある。
『延喜式神名帳』によると、「水主神社 十座 並大 月次新嘗 就中同水主坐天照御魂神水主坐山背大国魂命神二座預相嘗祭」とあることから、当初は祭神が十柱いたこと、そのうちの二柱が天照御魂神、山背大国魂命であることが窺える。
社伝によると、崇神天皇の時代、豊鋤入姫命をして天照大神を倭笠縫邑に遷し、また淳名城入姫命をして、倭大国魂命を倭、山背大國魂命を山背の二国に祀らしめたとし、このうち山背に奉斎したのを当社とする。『新撰姓氏録』(815年)に「山城国神別 水主直 火明命之後也」とあることから、本来はこの水主直が祖神である天火明神(天照御魂神)を奉斎した神社と推測される。
天安2年(858年)に雨乞、貞観元年(859年)には風雨祈祷がされるなど、国史では当社への祈雨奉幣のの記事が散見され、更に『延喜式』臨時祭では祈雨神祭八十五座に選定されているなど、祈雨に対し霊験が強いとされていた。『延喜式神名帳』では大社に列格した。
拝殿より奥は鉄格子に守られており、本殿や境内社も含めいずれもその中にあるため、本殿前まで近寄ることはできない。正面に水主神社本殿があり、左側に樺井月神社(後述)、右側に衣縫神社が鎮座する。
樺井月神社(かばいづきじんじゃ)は、水主神社の境内社である。式内大社。
創建年代は不詳だが、同じ綴喜郡の式内社に月読神社があり、関係性が指摘されているほか、かつては月読神社と共に大住に鎮座していたとされる。しかし、木津川の氾濫により社殿を流失し、1672年(寛文12年)に水主神社の境内に遷座した。以降は水主神社の兼掌となった。
所在地
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