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この項目では、近代以降の軍隊の階級について説明しています。古代中国の官職については「中尉 (古代中国)」をご覧ください。 |
中尉(ちゅうい)は、軍隊の階級の一つ。将校(士官)に相当。尉官に区分され、大尉の下、少尉の上に位置する。
自衛隊
各自衛隊では2尉(略称)と呼称する。警察では警部または警部補に相当し、中央官庁では本省係長、主任及び係員に相当する[36]。
尚、以下の条件に当てはまる者は、おおよそ1年以内の規定の教育期間を経た後、すぐさま2等陸・海・空尉に任命される。
- 一般大学の大学院修士課程修了者(見込み含)で自衛隊幹部候補生試験に合格した者。ただし修了見込みの身分で試験に合格した者は、その年度に修了できなかった場合採用取消となる。
- 防衛医科大学校を卒業後、医師国家試験に合格した者
いずれも競争率は数十倍に上り、難関である。
尚、民間企業などの自衛隊以外の職域で即戦力となる技能を持つものを2尉以上の階級で採用する「公募幹部」と呼ばれる
制度も存在する。主に医師、歯科医、薬剤師、弁護士、エンジニアなどがこれに当たる。
これらは経験と年齢によっては1尉や3佐の階級を以って採用されるケースもある(特技兵を参照)。
イギリス
- 陸軍 Lieutenant(レフテナント)
- 海軍 Sub-Lieutenant(イギリス海軍では中尉と少尉の区別がなく、少尉の上はすぐ大尉。)
- 空軍 Flying Officer
アメリカ合衆国
- 陸軍 1st Lieutenant(ファースト・ルーテネント)
- 海軍 Lieutenant Junior Grade
- 空軍 First Lieutenant
- 海兵隊 1st Lieutenant
ドイツ
- 陸軍 Oberleutnant
- 海軍 Oberleutnant zur See
- 空軍 Oberleutnant
フランス
- 陸軍 lieutenant
- 海軍 enseigne de vaisseau de 1ère
- 空軍 lieutenant
注釈
兵部省は弁官宛に海陸軍大佐以下の官位相当表を上申していたが決定に日数がかかっており、明治3年7月28日に官位相当表の決定を催促をしている[5]。
1870年6月1日(明治3年5月3日)には、横須賀・長崎・横浜製鉄場総管細大事務委任を命ぜられた民部権大丞の山尾庸三に対して、思し召しにより海軍はイギリス式によって興すように指示している[6]。
中尉は古代中国でも見られる官職名であるが、新式軍隊の階級として使用したのは中国の用例と比べて日本がそれより早いことから、日本が先に新義語として転用した可能性が高いと推測される。
明治4年2月22日に春日艦乗組の中村一雄を海軍中尉に任じ、青木興三を海軍中尉に任じた[13]。
同年5月19日に日進艦二等士官の吉島六郎次を海軍中尉任じ[14]、同日に飛隼丸一等士官の塩沢善十郎と同二等士官の朝枝辰太郎を海軍中尉に任じた[15]。
同月23日に龍驤艦海兵士官の徳田彦二と同見習士官の井上直八を海軍中尉に任じた[16]。
明治4年5月に竹内信之允を陸軍中尉に任じ、同年5月25日に同人に第2連隊第1大隊2番少隊隊長を命ずる辞令を別に出している。同月に神保与一郎を陸軍中尉に任じ、同年5月25日に同人に第2連隊第1大隊3番小隊隊長を命ずる辞令を別に出している[17]。
同年5月25日に仲木恒太郎を陸軍中尉に任じ、このとき同人に第2連隊第2大隊2番小隊隊長を命じる辞令を別に出している。また同日に清水佐四郎を陸軍中尉に任じ、このとき同人に第2連隊第1大隊8番小隊隊長を命じ、ただし当分7番少隊兼勤とする辞令を別に出している。このように陸軍中尉の階級と小隊隊長の職を区別している[18]。
陸軍では服役年の始期は明治4年8月を以って始期とするため、その以前より勤仕の者であったとしても総て同月を始期とした[19]。
海軍では服役年の始期について、准士官以上は明治4年8月以前は服役年に算入しない[20]。
明治4年12月調べの職員録によれば海軍中尉として45名、陸軍中尉として86名が掲載されている[23]。
これまでの順席では海軍を上、陸軍を下にしていたが、明治5年1月20日の官等表から陸軍を上、海軍を下に変更した[25]。
当時の官制に規定がないことに拘らず現に明治4年7月以前に一時賜金、明治4年8月以後は恩給年に通算した先例もある軍人の名称の内、中尉に相当するものには次のようなものがある(個人名は省略)[31]。
- 明治23年陸軍恩給令により恩給を受けている者の内
- 中尉心得:退役時は歩兵大尉
- 准中尉:退役時は砲兵大尉
- 准中尉職務:退役時は歩兵大尉
- 明治24年軍人恩給法により恩給を受けている者の内
- 准中尉:退役時は歩兵中佐
- 准中尉:退役時は歩兵中佐
- 准三等士官、中尉准席:退役時は歩兵中佐
- 中尉勤務:退役時は歩兵少佐
- 中尉心得、准中尉:退役時は歩兵少佐
- 中尉心得、中尉准席:退役時は歩兵少佐
- 中尉心得:退役時は歩兵大佐
中尉心得はその本官の職を取る。本官とは、中少尉は小隊長の職を取る[32]。
准席はすべてその官相当の職を取っていたもの。即ち中少尉は小隊長[32]。
三等士官は中尉相当であってその職を取っていたもの[32]。
前項の三等士官に等しいものであってその職を取っていたもの[32]。
1873年(明治6年)5月以前に用いられた各種名義の軍人について、当時の官制に於いて規定した明文がないものの、例えば心得、准官のような名義の者であっても当時は戦時に際して上司の命令を以て実際に軍隊・官衙等に奉職しその任務を奉じたことから、明治25年5月に陸軍大臣の請議による閣議に於いてこれらを軍人と認定しており[29] [30] [注釈 10]、これらのうち中尉に相当するものには明治3・4・5年の頃の中尉心得[注釈 11]、明治2・3・4年の頃の准中尉並び職務[注釈 12]、明治2・3・4年の頃の中尉准席[注釈 13]、明治元年以降、明治4年頃までの三等士官[注釈 14]・准三等士官[注釈 15]などがある[33] [32] [30]。
明治5年1月に海軍省が定めた外国と国内の海軍武官の呼称によるとジューニヲル・リューテナントを中尉に対応させている[34]。
出典
内閣官報局 編「第604号海陸軍大中少佐及尉官及陸軍曹長權曹長ヲ置ク(9月18日)(沙)(太政官)」『法令全書』 明治3年、内閣官報局、東京、1912年、357頁。NDLJP:787950/211。
「御沙汰書 9月 官位相当表の件御達」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C09090037000、公文類纂 明治3年 巻1 本省公文 制度部 職官部(防衛省防衛研究所)
「弁官往復閏 7月 官位相当表の義々付上申」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C09090036900、公文類纂 明治3年 巻1 本省公文 制度部 職官部(防衛省防衛研究所)
「海軍ハ英式ニ依テ興スヘキヲ山尾民部権大丞ニ令ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15070892000、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第百十四巻・兵制・雑(国立公文書館)
「常備兵員海軍ハ英式陸軍ハ仏式ヲ斟酌シ之ヲ編制ス因テ各藩ノ兵モ陸軍ハ仏式ニ基キ漸次改正編制セシム」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15070892100、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第百十四巻・兵制・雑(国立公文書館)
「各藩ノ常備兵編制法ヲ定ム」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15070861600、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第百八巻・兵制・徴兵(国立公文書館)(第2画像目から第3画像目まで)
「単行書・大政紀要・下編・第六十五巻・官職八・陸軍武官」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A04017112800、単行書・大政紀要・下編・第六十五巻・官職八・陸軍武官(国立公文書館)(第7画像目)
「薩長土ノ三藩ニ令シテ御親兵ヲ徴シ兵部省ニ管轄セシム」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15070858800、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第百八巻・兵制・徴兵(国立公文書館)
「東山西海両道ニ鎮台ヲ置キ兵部省ノ管轄ニ属ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15070838700、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第百六巻・兵制・陸海軍官制(国立公文書館)
「海軍諸達 伊東四郎海軍大尉任官外数件達」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C09090212500、公文類纂 明治4年 巻4 本省公文 黜陟部1(防衛省防衛研究所)
「5月19日 日進艦2等士官吉島六郎次任海軍中尉」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C10070829500、明治4年従正月至7月 省中達留(防衛省防衛研究所)(第1画像目)
「5月19日 飛準丸1等士官塩澤善十郎同2等士官朝枝辰太郎任海軍中尉他」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C10070829600、明治4年従正月至7月 省中達留(防衛省防衛研究所)(第1画像目)
「5月23日 海兵士官徳田彦二見習士官井上直八任海軍中尉」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C10070830100、明治4年従正月至7月 省中達留(防衛省防衛研究所)
「5月25日 竹内信之允海軍中尉及第2連隊第1大隊2番小隊隊長申付他」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C10070830700、明治4年従正月至7月 省中達留(防衛省防衛研究所)(第1画像目から第2画像目まで、第4画像目から第5画像目まで)
「5月25日 仲木恒太郎任陸軍中尉及第2連隊第1大隊5番小隊隊長申付他」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C10070830900、明治4年従正月至7月 省中達留(防衛省防衛研究所)(第1画像目から第2画像目まで、第4画像目から第5画像目まで)
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「官等改正」国立公文書館、請求番号:太00236100、件名番号:002、太政類典・第二編・明治四年~明治十年・第十四巻・官制一・文官職制一(第2画像目)
内閣官報局 編「太政官第62号 兵部省ヲ廃シ陸海軍両省ヲ置ク(2月28日)(布)」『法令全書』 明治5年、内閣官報局、東京、1912年、71頁。NDLJP:787952/91。
内閣官報局 編「第154号陸海軍武官官等表改定(5月8日)(布)」『法令全書』 明治6年、内閣官報局、東京、1912年、200−201頁。NDLJP:787953/175。
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「海軍武官彼我ノ称呼ヲ定ム」国立公文書館、請求番号:太00432100、件名番号:003、太政類典・第二編・明治四年~明治十年・第二百十巻・兵制九・武官職制九
岩倉規夫、藤樫準二 『日本の勲章-日本の表彰制度-』 第一法規出版、1965年1月。
- 海尉 - 近代以前の海軍の階級制度の「Lieutenant」に対する意訳語。詳細は当該項目を参照。
- デビッド・ロビンソン (バスケットボール) - アメリカのバスケットボール選手。退役海軍中尉で、珍しい経歴から提督(The Admiral)のニックネームで呼ばれた。