東京都出身[6]。高校生の頃からクラス内でも目立つ存在で、既成概念に囚われずに行動する性格を先生から「高校の枠にはまるような子ではない」と評される[6]。
1985年、サニーサイドアップを創業[6]。取締役就任。創業メンバーは当時同級生の松本理永(現:サニーサイドアップ 取締役)と実母の3人[7]当時は制服姿で営業活動することもあった[8]。
数年後、実母が再婚を機に香港へ移住になり、事業を引き継ぐ[8]。テレビ番組内の屋外ロケの天気予報コーナーにアピール看板を持って映り込むなど手段を選ばす行動[8]。
現在はサニーサイドアップグループ代表取締役のほか、一般社団法人日本経済団体連合会(経団連)審議員会副議長、ダイバーシティ推進委員会委員長を務める。コミュニケーションに関わる仕事で培った知見を生かし、日本経済の発展と課題解決に向け精力的に活動をしている[9]。
1995年
- すでにマネジメントを担当していた前園真聖の紹介で、当時19歳であった元サッカー日本代表の中田英寿と出会い、マネジメント契約を締結。その後、海外への移籍やCM出演などに携わる。
1997年
2004年
- オーストラリアで小さなカフェ『bills』を営んでいた男性ビル・グレンジャーと出会い、契約。2008年にオーストラリアの人気レストラン「bills」を七里ガ浜に出店する。以後は横浜・お台場・表参道などにも出店を進め、2019年11月時点で、日本国内8店舗、ハワイ1店舗、韓国3店舗を展開している。
2005年
- 次原がイギリスBBCのWebサイトにて、貧困撲滅の世界的アドボカシー活動「ホワイトバンドプロジェクト」の動画を視聴したことをきっかけに、日本国内で展開。 同年開催されたG8では、ODA(政府開発援助)の500億ドル増額が約束されたほか、小泉純一郎総理(当時)が3年間でアフリカへのODAを倍にすることなどを表明。同プロジェクトはこれらの政策決定に影響を与えたとして評価された。
2007年
2008年
- 11月 株式会社フライパン代表取締役会長就任[12]。
2014年
- 4月 4時間以上ボランティア活動をした人だけが参加できるライブイベント「RockCorps(ロックコープス)」の開催を発表。当時次原は、同イベントを知ったきっかけが中田英寿からのメールであることを公表している。サニーサイドアップはソーシャル・プロダクション・カンパニー「RockCorps」と協業し、実行委員会主幹事としてプロジェクト全体の推進を担った。
2016年
- 7月 株式会社サニーサイドアップキャリア取締役就任[13]
- 8月 株式会社EPARKスポーツ取締役就任[13]。
2018年
2019年
- 1月 国際PR協会(ドイツ語版)ボードメンバー就任。日本人女性初[15]。
- 8月 株式会社サニーサイドアップ代表取締役就任[1]。
2020年
- 1月 ホールディングス経営体制に移行し、持株会社、株式会社サニーサイドアップグループ代表取締役社長就任[16]。
2021年
- 6月 一般社団法人日本経済団体連合会ダイバーシティ推進委員会委員長就任[3]。
2022年
2024年
- 2月 一般社団法人日本経済団体連合会のダイバーシティ推進委員会の委員長として、工藤禎子同企画部会長ら総勢13人から成る女性エグゼクティブを率いたミッションを米国・ニューヨークおよびワシントンDCにて実施[18]。
- 5月 一般社団法人日本経済団体連合会の審議員会副議長に就任[19]。