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日本の撮影監督(1916−2008) ウィキペディアから
楠田 浩之(くすだ ひろし[1]、1916年4月14日 - 2008年9月13日[1])は、日本の撮影技師である。名の読み「ひろゆき」は誤りである[1]。
1916年(大正5年)4月14日、東京府東京市(現在の東京都)に生まれる[1]。
旧制・京華中学校(現在の京華高等学校)を卒業する[1]。1934年(昭和9年)、松竹蒲田撮影所に入社、撮影部に配属されて撮影助手となる[1]。小原譲治、厚田雄春らに師事する[2]。1936年(昭和11年)、撮影所が蒲田から新設の松竹大船撮影所に引越し、楠田も異動になる[2]。
1943年(昭和18年)、技師に昇進し、木下恵介監督の第1作『花咲く港』で、木下とともに一本立ちする[1][2]。また、翌1944年(昭和19年)に木下の妹の芳子(のちに脚本家として活動する)と結婚する。以降、1951年(昭和26年)の日本最初のカラーフィルムによる長篇劇映画『カルメン故郷に帰る』、『二十四の瞳』(1954年)、『野菊の如き君なりき』(1955年)など、キャリアのほとんどが木下作品で埋め尽くされる[1][2]。
1959年(昭和34年)、木下恵介監督の『楢山節考』で芸術選奨を受賞する[1]。
2008年(平成20年)9月13日、死去した[1]。満92歳没。
息子にテレビプロデューサー、演出家の楠田泰之がいる。
特筆以外はすべて松竹大船撮影所製作作品である。
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