楊伝広
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楊 伝広 (よう でんこう、アミ語名:Maysang Kalimud、1933年7月10日 - 2007年1月27日)は、台湾・アミ族の陸上競技選手。専門は十種競技で、オリンピックでのメダル獲得や世界記録樹立といった実績により「東洋の鉄人」「アジアの鉄人」の異名を取った。
来歴
台東庁台東市出身。大家族の中から6人が日本軍の兵士として出征したという[1]。
1960年ローマオリンピックでは銀メダルを獲得した。1963年4月に世界記録も樹立している。1964年東京オリンピックにも出場したが、体調がよくなく5位の結果だった[2]。これに関しては、毒物投与疑惑も持ち上がった[2]。
引退後、1983年の立法院選挙に中国国民党から立候補して当選、議員を務めた後、1989年に台東県知事選に出馬したが落選した[1]。1990年アジア競技大会では台湾チームのコーチとして20年ぶりに中国大陸の地を踏んだ[1]。
カリフォルニア大学への留学経験があり、1990年の時点では妻子はアメリカ合衆国に居住していた[1]。
2007年1月27日、アメリカカリフォルニア州サンフェルナンド・バレーで脳卒中により死去[2]。
主な実績
脚注
外部リンク
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