椎名正健

日本の陸軍軍人 ウィキペディアから

椎名 正健(しいな まさたけ、1889年明治22年)5月9日[1] - 1955年昭和30年)12月29日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

概要 椎名 正健, 生誕 ...
椎名 正健
生誕 1889年5月9日
日本 千葉県
死没 (1955-12-29) 1955年12月29日(66歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1910年 - 1945年
最終階級 陸軍中将
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経歴

1889年(明治22年)に千葉県で生まれた[1]陸軍士官学校第22期卒業[1]1936年(昭和11年)に深山重砲兵連隊長に就任し[2]1937年(昭和12年)に陸軍砲兵大佐に進級した[2]1938年(昭和13年)5月に阿城重砲兵連隊長[2]、12月に第4軍兵器部長を歴任した[2]1939年(昭和14年)8月に陸軍少将に進級し[2]、10月に陸軍工科学校長に就任した[1]

1941年(昭和16年)に西部軍砲兵隊長に転じ[1]1942年(昭和17年)に釜山要塞司令官[1]1943年(昭和18年)2月に兼釜山陸軍軍需輸送統制部長[1]、同年6月に第7砲兵隊司令官を歴任[1]1944年(昭和19年)に陸軍中将に進級し[2]留守第20師団長に就任した[1]1945年(昭和20年)に朝鮮に転出した第111師団の残置兵馬を元に編成された[1]関東軍隷下の第124師団長に親補される[1]穆棱で終戦[1]

1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[3]

脚注

参考文献

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