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閉店した百貨店 ウィキペディアから
桜デパート(さくらデパート)は、かつて存在した日本の百貨店。鹿児島県鹿屋市に本店を置き、大隅半島では唯一の百貨店(日本百貨店協会加盟[3])であった。
1945年(昭和20年)12月8日に桜商会として進駐軍向け土産物店を個人創業[2]。
1948年(昭和23年)12月に有限会社桜商会として法人化し[2]、1952年(昭和27年)11月に株式会社桜商会に改組した[2][4]。 1953年(昭和28年)12月1日に株式会社桜デパートと商号変更を行い[5]、、同日に[6]鉄筋コンクリート造2階建て・850m2の店舗を完成させた[2]。
1956年(昭和31年)7月1日に[5]3階建て・3,075m2まで増床[2]。1960年(昭和35年)4月に4階建て・4,950m2まで増床[2]。1965年(昭和40年)11月に5階建て・5,250m2まで増床した[2]。1975年(昭和50年)3月には新消防法への適用と共に店舗を約2倍に拡張した[7]。
この間の1974年(昭和49年)4月には寿屋と資本提携し[8]、救済される形でその系列下に入った[9]。
大隅半島初のショッピングセンターであるプラッセだいわ鹿屋店が開業した1991年(平成3年)12月5日にショッピングプラザさくら(寿店の増床計画)の構想を南日本新聞の紙面上で広告として発表し[10]、1993年(平成5年)1月29日には大規模小売店舗法に基づく出店届を提出したが[11]実現には至らなかった。
1994年(平成6年)8月31日に鹿屋本店が閉店[12]。1998年以降は寿屋とくらし館が5店舗の営業権を継承して営業を続けた[13]。
しかし、親会社だった寿屋の構造改革に伴い、1999年(平成11年)12月21日の臨時株主総会で解散を決議した[14]。大隅半島の倒産企業における負債金額の規模では丸栄建設(2008年破綻)に次ぐ[15]。1994年8月末時点の資本金は8,500万円、従業員数は110人であった。
1980年代までの鹿屋市で買い物といえば、鹿屋市中心部にあった桜デパートや遠矢百貨店、タイヨーが一般的であったが、1991年(平成3年)の市役所の移転や1992年(平成4年)の国道220号鹿屋バイパスの全線開通などを機に、衰退の一途をたどった。現在の鹿屋市付近の買い物は鹿屋バイパス沿いのロードサイド店舗が中心となっている。[要出典]
1989年時点[16]。
1998年以降は寿屋が営業権を貸借していたが、同社の倒産に伴いいずれも2002年2月に閉鎖された。
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