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日本のサッカー選手 ウィキペディアから
静岡産業大学卒業後の2007年、J1の大宮アルディージャに入団するも江角浩司・荒谷弘樹の前に出番が無く1年で退団。
2008年に柱谷幸一監督率いるJFLの栃木SCに入団。チームはJFLで2位に入りJ2に昇格したが第3GKという扱いから脱することができず、ベンチ入りもままならなかった[1]。
2009年、柱谷から松田浩に監督が交代。背番号も21から1に変更となった。チームのJリーグ初年度となったこの年は成績が振るわず、点が取れないばかりか守備も安定しなかった。そんな中全く出番の無かった柴崎が、第36節のサガン鳥栖戦より正GKのベテラン小針清允に代わり先発起用され、その後最終節までゴールを守った[2]。最終的には16試合の出場で4勝4分8敗の22失点、4完封とまずまずの結果を残した。
小針がガイナーレ鳥取に移籍した2010年は武田博行と激しく正GKの座を争い19試合に出場[3]。チームも前年の17位から10位と躍進したが、2011年は7試合の出場に留まり、さらに第2GKの座も東京ヴェルディから加入した鈴木智幸に脅かされベンチ外の試合も増えた[4]。2012年も同様の状態が続き、5試合の出場に終わった。武田がギラヴァンツ北九州へ移籍した2013年も徳島ヴォルティスから加入した榎本達也の控えにとどまっている。
2011年から、栃木SC選手会長(日本プロサッカー選手会支部長)を務める[5]。
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