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近年はラジオの出番は少なかった。『報道センターNBC』降板から『あっぷる』着任までの間、昼ワイドのレギュラーを持っていた。2012年春の改編からラジオ中心の活動となる。
1990年代、全国のラジオ局は電リクを廃止してメール・ファックスリクエストに方針転換したが、電リク番組を担当していた林田もこの転換によって「最後の電リクパーソナリティ」になった。
2002年には村山仁志アナウンサーと林田の企画・出演による「トーキングセッション男子アナ天国」を開催。同年秋にはNBCアナウンサー総出のイベント「アナアナ大作戦」を開催。NBCの名物イベントとなっている。しかしイベントが大きくなるにつれて、林田は制作にかかわる時間が確保しづらくなり、村山主導に傾きつつある。2004年秋に「男子アナ完結篇(仮)」として完結すると言っていたが、結局は2011年まで続いた。年代が近い村山とは馬が合い、親が転勤族[2]で長崎のクロスネット時代の記憶が少ない村山にとって、生粋の長崎育ちの林田は『想い出の花束』でのトークの情報源でもあった。林田自身も『科学忍者隊ガッチャマン』恒例の“バードミサイル発射許可を巡る健とジョーの口論”をたびたびラジオ内で語っている。村山とのアニメ談義は、2009年4月開始の『きかせられないラジオ』にて拝聴可(NBCのポッドキャストでも聴取可)。
2010年には、JNN系列で優秀なアナウンサーに与えられるアノンシスト賞のテレビフリートーク部門最優秀賞並びに大賞(グランダ・プレミオ)を受賞[3]。2011年にはラジオフリートーク部門最優秀賞(『きかせられないラジオ』)とテレビフリートーク部門優秀賞(『あっぷる』)をダブル受賞。
長崎大学落語研究会OB[4]であり、「長楽亭凡太」の名前で高座に上がることもある。長崎あざみ落語会のメンバーでもある。落語の実力は高く、2012年の第4回社会人落語日本一決定戦で3位に入賞した。
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