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日本の脚本家 (1933-2022) ウィキペディアから
京都市出身。松田定次と松浦築枝の養子[3]。京都大学文学部卒業[1]。
1958年、東映に入社。早くからチーフ助監督になるが、組合委員長として契約者の組織化などに働き[3]、常にひと言多いクセがたたり、岡田茂プロデューサーと喧嘩し、助監督を棒に振って東映東京撮影所に飛ばされた[3]。
1967年に脚本家デビュー。当初はヤクザ映画やアクション映画の脚本を執筆していたが、次第に時代劇、ドラマと幅を広げていき、テレビドラマにも進出した。東映の脚本家は数名の共作で執筆することが多いが、比較的早くから単独執筆の映画に恵まれている。特に後年には、『花いちもんめ。』『社葬』などのオリジナル脚本でしばしば高い評価を受けた。
1985年、映画『花いちもんめ。』で第9回日本アカデミー賞最優秀脚本賞、1989年、『社葬』で第44回毎日映画コンクール脚本賞を受賞。
2022年3月24日午前、悪性リンパ腫のため東京都内の病院で死去。88歳没。死去は4月1日に東映が発表した[2][4]。
※は共作
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