松平 斉韶(まつだいら なりつぐ)は、江戸時代後期の大名。播磨国明石藩7代藩主。官位は従四位上左近衛権少将、左兵衛督。直良系越前松平家8代。
享和3年(1803年)、6代藩主・松平直周の次男として誕生。初名は直韶。のち、11代将軍・徳川家斉から偏諱を受け斉韶に改名した。
文化13年(1816年)、父の隠居に伴い家督を相続する。文政4年(1821年)に元服する。
※日付は旧暦
- 1815年(文化12年)12月16日、従五位下・左近衛将監に叙任。
- 1816年(文化13年)9月14日、家督相続し、明石藩主となる。
- 1821年(文政4年)12月16日、従四位下に昇叙し、左近衛将監如元。12月22日、左兵衛督に転任。
- 1829年(文政12年)12月16日、侍従に遷任し、左兵衛督兼任如元。
- 1837年(天保8年)3月9日、従四位上に昇叙し、左近衛権少将に転任。左兵衛督兼任如元。
- 1840年(天保11年)2月26日、隠居。
以上[1]
1963年の映画『十三人の刺客』において、暴君・松平斉韶として登場することが知られている。ただし、同作に登場する松平斉韶は明石藩主でこそあるが、将軍の弟といった基本的な来歴は史実の斉韶と異なる。さらに、史実として松平斉韶には暴君と見なされるようなエピソードや、映画のネタ元となったような逸話も存在しない。ただし、将軍の弟という出自や、参勤交代中のトラブルといった逸話は、跡を継いだ松平斉宣に見られる。
2010年のリメイク版においても、登場する暴君の名は松平斉韶であるが、このリメイクに伴って刊行された小説版(谺雄一郎作)では、暴君の名を「斉宣」としている。
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