松平忠興
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松平 忠興(まつだいら ただおき)は、江戸時代後期の譜代大名。摂津国尼崎藩の第7代(最後)の藩主。桜井松平家16代当主。官位は従五位下・遠江守、兵庫頭。明治維新期に櫻井に改姓し、維新後に子爵。
弘化5年(1848年)1月8日、第6代藩主・松平忠栄の七男として誕生した。
文久元年(1861年)8月6日、父の隠居により家督を譲られる。泊園書院(現・ 関西大学)に学び[1]、慶応4年(1868年)1月の戊辰戦争では新政府に恭順し、所領を安堵された。2月に徳川家との訣別の証として、姓を桜井と改める。
明治2年(1869年)の版籍奉還で尼崎藩知事に任じられ、明治4年(1871年)の廃藩置県で免職された。明治6年(1873年)1月、東京へ移住する。明治10年(1877年)、博愛社(後の日本赤十字社)の設立者のうちの一人となった。尼崎城址の一角に建立された桜井神社には博愛社の記念碑がある。明治17年(1884年)に子爵に叙せられた。
明治28年(1895年)4月29日に死去、享年48。
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