松嶋 鹿夫(まつしま しかお、1888年1月16日 - 1968年11月28日)は、日本の外交官。外務次官や終戦連絡中央事務局次長、貴族院議員等を務めた。 この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 (2014年10月) 松嶋鹿夫 略歴 1888年兵庫県で士族の父の下に生まれる。後に旧制龍野中学校(のち兵庫県立龍野高等学校)及び神戸高等商業学校(のち神戸大学)入学。 1912年 東京高等商業学校(のち一橋大学)専攻部卒業。その後滋賀県、上海海関、南京海関で勤務。 1920年 外務省事務官就任。その後、フランス、ギリシャ、満州国等で在勤。 1932年 関東庁外事課長 1934年 外務省通商局一課長 1936年 外務省通商局長 1939年 在スウェーデン特命全権公使 1941年 日独伊混合専門委員会委員 1945年 外務次官兼終戦連絡中央事務局次長 1946年 外務省経済局長事務取扱[1]、貴族院議員(6月8日[2]) 1947年 中央公職適否審査委員会委員長 1951年 セントラル・リーグ会長 栄典 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[3] 脚注 [脚注の使い方] [1]官報 1946年02月04日 [2]『官報』第5822号、昭和21年6月13日。 [3]『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。 さらに見る 官職, その他の役職 ... 官職 先代来栖三郎 外務省通商局長1936 - 1939 次代山本熊一 先代田尻愛義 外務次官1945 - 1946 次代寺崎太郎 先代河相達夫 終戦連絡中央事務局次長西山勉加納文明白洲次郎と共同1945 - 1946 次代寺崎太郎 先代井上孝治郎 外務省経済局長事務取扱1946 次代廃止 その他の役職 先代安田庄司 セントラル・リーグ会長2代目:1951 - 1952 次代鈴木龍二 閉じるこの項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。表示編集Wikiwand - on Seamless Wikipedia browsing. On steroids.