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東郷 実(とうごう みのる、1890年(明治23年)9月10日 - 1962年(昭和37年)4月22日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。元帥海軍大将東郷平八郎の次男。
東京府出身。東郷平八郎・てつ夫妻の二男として生まれる。学習院中等科を経て、1912年(明治45年)7月、海軍兵学校(40期)を卒業。1913年(大正2年)12月、海軍少尉に任官し「香取」乗組となる。
1919年(大正8年)12月、「金剛」分隊長となり、「天龍」分隊長、「浦風」砲術長、「長門」「山城」「日向」の各分隊長などを経て、横須賀海兵団分隊長兼教官に就任。1925年(大正14年)12月、海軍少佐に昇進した。1927年(昭和2年)5月、「多摩」砲術長に転じ、海兵教官兼監事、「八雲」「榛名」の各運用長を歴任。1932年(昭和7年)12月、海軍中佐に進級し「間宮」副長に発令された。
1933年(昭和8年)11月、「長鯨」副長に就任し、横須賀鎮守府付、「春日」副長、鎮海要港部参謀兼朝鮮総督府御用掛(嘱託)、大本営附属海軍諜報機関勤務を経て、京城在勤武官となり、1938年(昭和13年)11月、海軍大佐に昇進。同年12月、横須賀鎮守府付に転じ、大湊要港部港務部長兼分隊長、舞鶴鎮守府付、第二港務部長、「室戸」特務艦長を経て、1941年(昭和16年)10月、「尻矢」特務艦長に就任し太平洋戦争を迎えた。
1942年(昭和17年)3月、佐世保鎮守府付に転じ、福岡地方人事部長に異動。1943年(昭和18年)11月、海軍少将に進み横須賀鎮守府付となる。同月、軍令部出仕に移り、翌月、待命となり予備役編入。同時に充員召集され軍令部出仕兼海軍省出仕となる。1945年(昭和20年)8月、充員召集が解除された。その後、公職追放となった[1]。
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