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『東洋的近世』(とうようてききんせい)は宮崎市定の著作。1950年に教育タイムス社から出版された、唐宋変革についての宮崎の代表的な著作である。宋代から近世がはじまるとした内藤湖南の説を受け継いでいる。
内藤湖南の唐宋変革説の概略は、1922年の「概括的唐宋時代観」[1]や、1947年の『中国近世史』[2]にみることができる。
宮崎自身も「本書の論旨は、先師内藤湖南博士の高説を祖述するところの多いのをことわっておく。」と「はしがき」に書いている。 『東洋的近世』のうち緒論、2章のうちの貨幣論、および3,5章の大半は内藤説によっているとみることができる。
1948年、東京大学の前田直典は宋から中世がはじまると論じ[3]、宮崎の『東洋的近世』はそれに反論する形になった。
東京大学の仁井田陞や周藤吉之は、佃戸は小作というより隷農であり、宋代はむしろ中世であると、宮崎に反論した(中国史時代区分論争)。
それに対して宮崎は1971年に「部曲から佃戸へ」を書き、自分の意見をより明瞭にしている。
礪波護によると、1950年代半ばにおける日本の東洋史学の発達史を総括した松本善海(東京大学)は、1920年前後の時期に、ページのみいたずらに多い教科書的・参考書的概説書の氾濫の外にあって、一応の史観をもって書かれた概説書として、稲葉岩吉の著書『支那政治史綱領』をあげている[4]。そして、時代区分法を樹立したこれらの新しい見解が学界においては有力となっても、日本における東洋史学が容易に概説書のスタイルを変えなかったのは、それが中国史に限られていて、同じ形で東洋全般を捉えることができなかったためであり、そこまでへの展開には、宮崎市定の著書『東洋的近世』の出現を待つ必要があった、と述べている[4]。
最初の教育タイムス社版を除いて、単行本としては、通常他の論文と抱き合わせて出版されている。
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