来目皇子

飛鳥時代の皇族 ウィキペディアから

来目 皇子(くめのみこ、生年不詳 - 推古天皇11年2月4日603年3月25日))は、飛鳥時代皇族久米王とも。用明天皇の子。

概要 来目皇子, 続柄 ...
来目皇子
続柄 第31代用明天皇の第4皇子

出生 不詳
死去 推古天皇11年2月4日603年3月25日
筑紫国島郡
埋葬 不詳
河内国埴生山岡上(現・大阪府羽曳野市
配偶者 由波利王
  比里古郎
子女 男王
星河女王
佐富王
高椅王
日田王
父親 用明天皇(第31代天皇
母親 穴穂部間人皇女
役職 征新羅大将軍
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略歴

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推古天皇10年(602年)2月に任那を滅ぼした新羅に対する新羅征討計画が立てられた際、征新羅大将軍として軍25,000を授けられる。4月に軍を率いて筑紫国に至り、島郡に屯営したが、6月にを得て新羅への進軍を延期とした。征討を果たせぬまま、翌推古天皇11年(603年)2月4日に筑紫にて薨去周防娑婆(遺称地は山口県防府市桑山:桑山塔ノ尾古墳参照)にし、土師猪手がこれを管掌した。

河内国埴生山(はにゅうのやま)岡上に葬られた。現在、墓は大阪府羽曳野市はびきの3丁目の塚穴古墳方墳・一辺約50m)に比定され、宮内庁の管理下にある。

系譜

日田王を除く4人の王子女は『聖徳太子平氏伝雑勘文』所引『上宮記』による。

脚注

参考文献

関連項目

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