来目皇子
飛鳥時代の皇族 ウィキペディアから
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飛鳥時代の皇族 ウィキペディアから
来目 皇子(くめのみこ、生年不詳 - 推古天皇11年2月4日(603年3月25日))は、飛鳥時代の皇族。久米王とも。用明天皇の子。
推古天皇10年(602年)2月に任那を滅ぼした新羅に対する新羅征討計画が立てられた際、征新羅大将軍として軍25,000を授けられる。4月に軍を率いて筑紫国に至り、島郡に屯営したが、6月に病を得て新羅への進軍を延期とした。征討を果たせぬまま、翌推古天皇11年(603年)2月4日に筑紫にて薨去。周防の娑婆(遺称地は山口県防府市桑山:桑山塔ノ尾古墳参照)に殯し、土師猪手がこれを管掌した。
河内国埴生山(はにゅうのやま)岡上に葬られた。現在、墓は大阪府羽曳野市はびきの3丁目の塚穴古墳(方墳・一辺約50m)に比定され、宮内庁の管理下にある。
日田王を除く4人の王子女は『聖徳太子平氏伝雑勘文』所引『上宮記』による。
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