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韓国の男性シンガーソングライター ウィキペディアから
李 秀満(イ・スマン、이수만、1952年6月18日 - )は、韓国の男性シンガーソングライター、司会者、エンターテインメントプロデューサー、実業家である。ソ・テジが大衆歌手的側面でKポップの始まりだとすれば、イ・スマンは企画者的側面でK-POP(アイドルダンス)音楽の第一人者だと見ることができる。
李秀満 | |
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2019年の李秀満 | |
基本情報 | |
別名 | スーマン・リー、リー・スーマン |
生誕 | 1952年6月18日(72歳) |
出身地 | 韓国 ソウル |
学歴 |
ソウル大学校農科大学農工学科農業機械専攻[1] カリフォルニア州立大学ノースリッジ校コンピュータ工学修士[2] |
職業 | エンターテインメントプロデューサー |
活動期間 | 1971年 - |
事務所 | SMエンタテインメント |
共同作業者 |
サウォル・グァ・オウォル(1971年 - 1972年) サンド・ペブルス(1972年) トゥルゲドゥル(1974年) イ・スマン・グァ・365イル(1980年) |
1970年代後半にフォークシンガーとしてスターダムにのし上がり、1980年代後半から1990年代前半まではテレビ司会者やラジオDJとして数多くの番組を担当。その後、1995年にレコード会社兼芸能プロダクションのSMエンタテインメントを設立した。
1952年に韓国ソウルで生まれ[3]、エリート校[4]として知られる景福(キョンボク)高等学校[3]からソウル大学校農科大学(のちの農業生命科学大学)に進学して喫茶店で歌のアルバイトをしていた1971年に、実兄の紹介で実兄が所属する韓国航空大学校の学生バンド「ファルジュロ」(滑走路)[注釈 1]にギターを教えに来ていたペク・スンジンと知り合い、2人でフォークデュオ「サウォル・グァ・オウォル」(4月と5月)を結成し、テレビ出演などで知名度を上げて、翌1972年にレコード・デビューを果たした[5]。
当時フォークソングといえば国外歌手のカバー曲ばかりのなか、朝鮮語詞の自作曲で勝負を賭けた「サウォル・グァ・オウォル」は、ヒット曲を連発して人気グループとなったものの、李はデビュー直前に胸膜炎を病み脱退していたため、その成功を享受することはなく[5][注釈 2]、脱退後はソウル大農科大学の2年生のみで構成する学生バンド「サンド・ペブルス」の第2期に参加し、ボーカルとして1年間活動した[6][7]。
その後、1974年にペク・スンジンと今度は6人組フォークロック・バンド「トゥルゲドゥル」(野良犬達)を結成し、そこでリード・ボーカルとベースを引き受けるも、このバンドでのレコード・デビューは叶わず[8][9]、以後しばらくは「オリエント・プロダクション」に身を寄せて音楽活動を続けていたが[6]、1975年末に同プロダクションが「大麻草波動」[注釈 3]で大打撃を受けてしまい[11]、ほどなく「地球(チグ)レコード」へと移籍をした[6]。
翌1976年、韓国歌謡界は大麻草波動によって荒廃の一途を辿っていたが、その中で李は「幸福」(ヘンボク)や「一輪の夢」(ハンソンイ クム)などのフォークソングでヒットを飛ばして一躍人気歌手となり[6]、同年「MBC10大歌手歌謡祭」の新人歌手賞を受賞すると[12]、翌1977年には同賞の10大歌手に選出される栄誉を得た[1][13]。また歌手業だけでなく、人気バンドを次々と輩出して韓国歌謡界に新たな潮流をもたらした「MBC大学歌謡祭」の進行役を1977年の第1回から4年連続[14]で担当して高い評価を得るなど、司会者としても活躍した[15][16]。
1980年には、「イ・スマン・グァ・365イル」(イ・スマンと365日)というバンドを結成して、当時韓国では創始期であったハードロックに挑戦するなど、新境地を開拓する意欲も見せていたが[17]、その直後に全斗煥政権が実施した言論統廃合に失望して、芸能活動をたたみ自国を離れることを決断[18]。翌1981年、かつて思い描いていたエンジニアへの夢を胸に米国へと旅立ち、カリフォルニア州立大学ノースリッジ校[2]の大学院に入学した[1][18]。
半ば音楽を捨てて米国の地にやって来た李はロボット工学を専攻して学問に勤しんでいたが、ちょうど渡米と同じ年に放送が開始されたMTVに新しい音楽の時代を感じて、次第に米国のエンターテインメントを韓国で再現することを夢見るようになり、1985年に修士号を取得するとすぐに帰国して、芸能活動を再開した[1][18]。復帰後は歌手よりもラジオ番組のパーソナリティーやテレビ番組の司会者として活躍し[19]、馬のように面長だという共通点から歌手の李文世(イ・ムンセ)やユ・ヨルとともに「馬三(マサム)トリオ」の愛称で韓国の大衆から人気を得たが[20]、その一方で当時まだ珍しかったコンピュータミュージックに挑戦して[21]ソウル・梨泰院のディスコでDJをしたり、仁川の観光地・月尾島で「ヘミングウェイ」というカフェを経営したりして2億ウォンを貯め、それを元手に1989年、SMエンタテインメントの前身となる「SM企画」[3]を設立し、レコード制作業を始めた[1][18]。
この「SM企画」で李はダンスシンガーのヒョン・ジニョン、フォークシンガーのハン・ドンジュン、R&Bシンガーのユ・ヨンジンらをプロデュースするが[18]、なかでも約2年の育成期間を経て1990年にデビューさせたヒョン・ジニョンは、韓国でいち早くラップ・ミュージックを披露して一躍アイドル・スターへと成長し[21]、これによって李は音楽プロデューサーとして初めての成功を得た[22]。
この頃の李は破格のギャランティーを提示されるほどテレビ司会者として引っ張りだこで、温和で機知に富んだ語り口で青少年を中心に高い人気を集めていたが[23]、1995年に「SM企画」を「SMエンタテインメント」として法人化させ、翌1996年にデビューしたアイドルグループ「H.O.T.」を成功させてからは音楽プロデュースや会社運営に専念し、これ以後、同じくアイドルグループのS.E.S.、神話、フライ・トゥ・ザ・スカイ、BoA、東方神起、SUPER JUNIOR 、少女時代、SHINee、f(x)、EXO、Red Velvet、NCT、aespaらをスターに育て上げた。この功績から、2005年には韓国の時事週刊誌「時事ジャーナル」の「韓国芸能界で最も影響力のある人物」に選出されるとともに[24]、韓国芸能芸術協会主催の大韓民国芸能芸術賞において「芸能芸術発展の姿」賞を受賞している[25]。
2020年には、 ブロックベリー・クリエイティブ に所属する今月の少女のミニアルバム「#」「12:00」のプロデュースを手がけた。他の事務所の歌手のアルバムに参加したことは異例のことだった。今月の少女が、SM所属グループであるNCT 127の曲『Cherry Bomb』のダンスカバーを2019年5月に発表し[26]、この動画を見て可能性があると判断したのがきっかけだった[27]。
2021年5月にはアメリカの大手制作会社MGM Worldwide Televisionマークバーネット(Mark Burnett)プロデューサーと共にNCT-Hollywoodのローンチのため、アメリカオーディションプログラムを発表した。[28]
2022年2月には、世界最大の仮想資産取引所であるバイナンスとメインネット、NFT、ファンド造成などブロックチェーン分野の包括的パートナーシップに関する業務協約(MOU)を締結、李プロデューサーが創案した概念であるPlay2Createでブロックチェーン基盤参加型創作文化先導及び収益モデルを提示した。[29]
2020年10月28日(現地時間)、SMエンタテインメントとイ・スマン総括プロデューサーがK-POPブームを巻き起こし、グローバル音楽市場で輝かしい成果を成し遂げ、韓国文化を知らせることに貢献した功労を称えるため、米国ロサンゼルス(LA)中心部である6番街とオックスフォードアベニュー交差点を「SM ENTERTAINMENT SQUARE」と命名し、2022年4月28日には正式に表示板が設置され、イ・スマン総括プロデューサーを「韓流とグローバルK-POP現象のパイオニア」と紹介した。[30]
2023年経営権紛争が起こり、自身のほとんどのSM株をHYBEに売った。しかし、(自身と繋がりのある)HYBEもSMの買収に失敗し、事実上創業者がSMから追い出されることになった。これは本人が立てた外部企業にSMがプロデュースを任せて巨額のお金を与え、イ・スマンもプロデュース費用を受け取る形式に多くのSM株主が不満を感じていたため、結局この問題を正すという名分でSMの買収戦に飛び込んだカカオエンターテインメントと力を合わせたSM内部経営陣にイ・スマンが押されたわけだ。
以後メディアを通じてSMの一時代が締め切られたことと本人はグローバル音楽の道に依然として苦心しているというメッセージとともに事実上の引退宣言をした。
以下のうちテレビとラジオは、すべて司会ないしパーソナリティーを担当した番組である。
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