本斗町
日本の領有下の樺太に存在した町 ウィキペディアから
本斗町(ほんとちょう)は、日本の領有下において樺太に存在した町。
概要
歴史
- 1915年(大正4年)6月26日 - 「樺太ノ郡町村編制ニ関スル件」(大正4年勅令第101号)の施行により、本斗村、阿幸村が行政区画として発足。本斗郡に所属し、真岡支庁本斗出張所が管轄。
- 1922年(大正11年)10月 - 管轄支庁が本斗支庁に変更。
- 1923年(大正12年)4月1日 - 阿幸村が本斗村に合併。
- 1928年(昭和3年)12月31日 - 本斗村が本斗町となる。
- 1929年(昭和4年)7月1日 - 樺太町村制の施行により一級町村となる。
- 1942年(昭和17年)11月 - 管轄支庁が真岡支庁に変更。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 「樺太ニ施行スル法律ノ特例ニ関スル件」(大正9年勅令第124号)が廃止され、内地編入。
- 1945年(昭和20年)8月22日 - ソビエト連邦により占拠される。
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 国家行政組織法の施行のため法的に樺太庁が廃止。同日本斗町廃止。
町内の地名
- 旧本斗村地域
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- 旧阿幸村地域
- 阿幸
- 麻内(あさない)
- 知根平(ちねひら)
- 阿幸沢(おこうざわ)
- 麻内沢(あさないざわ)
([4])
交通
- 鉄道・バス
地域
教育
以下の学校一覧は1945年(昭和20年)4月1日現在のもの[5]。
国民学校
- 樺太公立知根平国民学校
- 樺太公立麻内国民学校
- 麻内沢分教場
- 樺太公立阿幸国民学校
- 樺太公立遠節国民学校
- 樺太公立遠節沢国民学校
- 樺太公立本斗国民学校
- 樺太公立吐鯤保沢国民学校
中等学校
- 樺太庁本斗水産学校
観光
- 吐鯤保沢温泉[6]
脚注
関連項目
外部リンク
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