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『時輪タントラ』(じりんタントラ、梵: Paramādibuddhoddhṛta-śrīkālacakra-nāma-tantrarāja[1], 略称:カーラチャクラ・タントラ)は、インド仏教・後期密教の最後の教典である。
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無上瑜伽タントラの一つ。
インド仏教を壊滅させたイスラム勢力の脅威に対抗するものとして11世紀に編纂された。釈迦の晩年の口伝を編纂したものという形式をとる。
"Kāla"は「時間」を、"Cakra"は「輪」[2]を意味し、「時輪」と漢訳している。
修行法、暦学、天文学、インド仏教の衰退と復興の予言が説かれている。
12種類の風(ルン、気)が説かれており、無上瑜伽の代表的な教典の一つである。
六支瑜伽と呼ばれる、六段階の修行法から成る。
教典成立当時の政治社会情勢からイスラム勢力の侵攻によるインド仏教の崩壊が予見されていたため、イスラムの隆盛とインド仏教の崩壊、インド仏教復興迄の期間(末法時代)は密教によってのみ往来が可能とされる秘密の仏教国土・理想郷シャンバラの概念、シャンバラの第32代の王となるルドラ・チャクリン(転輪聖王)、ルドラ・チャクリンによる侵略者(イスラム教徒)への反撃、ルドラ・チャクリンが最終戦争で悪の王とその支持者を破壊する予言、そして未来におけるインド仏教の復興、地上における秩序の回復、世界の調和と平和の到来、等が説かれた。
"Kāla"は時間の意味であり、暦法や天文学も説かれている。チベット暦に影響を与えた。
ダライ・ラマ14世によると、時輪タントラを含む四種のタントラは、業と感覚が純化され神秘的な状態に達した人々に秘法という形で与えられたものであり、歴史上の釈迦が説いたかどうかはさほど重要な問題ではないという。
チベット仏教の信仰上の位置づけでは、シャンバラの王スチャンドラが、シャンバラ内の96の国々の民の利益のため、インドを訪れ、釈迦から授けられた教えとされる。時輪タントラの教えは以降の7人の王、22人のカルキ王を介して受け継がれてきたという[3]。
ブッダによって開始された時輪タントラの根本タントラを受け取った後、スチャンドラは時輪タントラの最初の注釈を書き上げた。一代目のカルキ王マンジュシュリー・キールティは要約したタントラを作り、彼の息子であり二代目カルキ王であるプンダリーカもまた解説書『無垢光(ヴィマラプラバー)』を現し、時輪タントラはシャンバラから広まることになった。
カギュ派の祖師の一人ティローパが時輪タントラを求めてシャンバラを目指していたところ、文殊菩薩の化身が現れ、彼に時輪タントラの秘伝、経典、解説書、口伝を授けたという。
阿閦如来を本地とした守護尊(イダム)の「時輪金剛」が、『時輪タントラ』の本尊として男尊と女尊が抱き合った歓喜仏の姿で曼荼羅にも描かれる。
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