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時宗王(ときむねおう、生年不詳 - 天安2年9月28日(858年11月7日))は、平安時代初期の皇族。系譜は明らかでないが、桓武天皇もしくは嵯峨天皇の孫か。官位は従四位下・相模守。
仁明朝の承和3年(836年)二世王の蔭位により无位から従四位下に直叙される。承和14年(847年)治部大輔次いで大学頭に任ぜられる。
嘉祥3年(850年)仁明天皇崩御後の初七日に近陵七ヶ寺に遣使が行われた際、時宗王は正親正・善永王や刑部少輔・藤原関雄とともに拝志寺使を務めた[1]。文徳朝末の天安2年(858年)4月に天下平安を祈念して諸大神社に使者が派遣された際にも、時宗王は右近衛中将・源興らとともに使者を務めている[2]。同年9月28日卒去。最終官位は散位従四位下。
『六国史』による。
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