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昌谷 彰(さかや あきら、1870年 2月13日(明治3年1月13日)[1] - 1946年(昭和21年)10月[2])は、日本の内務官僚。官選県知事、樺太庁長官。
美作国津山城下(現岡山県津山市)出身。津山藩士・昌谷千里(端一郎)の長男として生まれる[3]。東京英語学校、第一高等中学校を経て、1896年、帝国大学法科大学を卒業。同年7月、内務省に入省し土木局属となる。同年12月、文官高等試験行政科試験に合格した[3][4][5][6]。
1897年4月、宮崎県参事官・内務部第三課長兼第二課長に就任。以後、三重県参事官、神奈川県参事官・第四課長兼官房外出係、滋賀県書記官、福井県事務官・第一部長兼第二部長、静岡県事務官・第一部長兼第三部長[7]、同内務部長、京都府事務官・内務部長などを経て、1910年7月、東京府事務官・内務部長に就任[3][5]。
1911年7月、大分県知事に就任。県庁内事務の刷新に尽力。1913年6月、知事を休職となる[5]。1914年6月、埼玉県知事に就任。治水事業の実施、産業振興などに尽力[4]。1916年10月、樺太庁長官に転じ1919年4月まで在任。1924年6月、同長官に再任され、1926年8月5日に依願免本官となり退官した[8][9]。
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