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安土桃山時代から江戸時代初期の法華宗(顕本法華宗)の僧 (1560-1620) ウィキペディアから
日経(にっきょう、永禄3年2月28日(1560年3月24日) – 元和6年11月22日(1620年12月15日))は、安土桃山時代から江戸時代初期の法華宗(顕本法華宗)の僧。院号は常楽院。
永禄3年2月28日(1560年3月24日)、上総国二宮領南谷木一松(現在の千葉県茂原市)で生まれる。長久寺の檀林で法を学んだという。折伏布教で他宗を改宗して名を轟かしていた。
慶長2年(1597年)、方墳寺を建立した。慶長4年(1599年)、妙満寺27世を継いだ。大坂城で行われた対論(大阪対論)によって対馬に流された妙覚寺・日奥の赦免運動に努めた。
京の法華の寺は、日経が浄土宗と法論するべきでないとの意見があったが、日経はこれを無視している[1]。慶長12年(1608年)、尾張国熱田で行った浄土宗の正覚寺・沢道との宗論は、増上寺を経て徳川家康に上訴され、同13年(1608年)に増上寺・廓山らと江戸城で宗論(慶長宗論)が行われることとなった。その結果、不受不施義を説いてきた[2]日経は敗れたとの判定を下され[3][4]、慶長14年(1609年)耳と鼻を削がれ酷刑となった。
慶長18年(1613年)、加賀国金沢へ赴き、元和元年(1615年)に越中国婦負郡外輪野村(現在の富山市婦中町外輪野)に庵室を設けて布教を続け、同地で没した。大正年間に同所で墓所が整備された。
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