日本海間瀬サーキット

新潟県新潟市西蒲区間瀬にあるサーキット ウィキペディアから

日本海間瀬サーキット

日本海間瀬サーキット(にほんかいまぜサーキット)は、新潟県新潟市西蒲区間瀬にあるサーキット

概要 概要, 所在地 ...
日本海間瀬サーキット
概要
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所在地 新潟県新潟市西蒲区間瀬610
座標 北緯37度44分41.29秒 東経138度48分6.53秒
オーナー 小山 大介
営業期間 1967年 -
主なイベント MAZE SERIES WAR 4輪
MAZE SERIES WAR 2輪
コース長 2000m
コーナー数 14
ラップレコード 59.699 (2020)

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概要

名前の通り日本海に面しており、弥彦山塊に属する樋曽山の麓に位置する。全長2Km・コーナー数14のテクニカルなコースで、自動車オートバイ両方で走行可能である[1]

2000年代後半から2010年代後半にかけてはD1グランプリの下位カテゴリーであるD1ストリートリーガル(および後継シリーズのD1ライツ)が開催されるなどしていたが[2]、近年は全日本クラスの大会は行われておらず、小規模なレースや走行会の開催が多い。また、自転車のロードレースの大会も開催されている[3][4]

歴史

1967年に当時医師であった藤田喜一が開設[要出典]。日本で8番目、2025年時点で現存する中では5番目に開設されたサーキットである[5]。当初はダートコースであったが、1970年に舗装化されロードコースとしてリニューアルされた。

1974年1975年には、「日本海グランチャンピオン」の大会名で富士グランチャンピオンレースの車両を持ち込んだレースが行われ、それぞれ高橋国光長谷見昌弘ポールトゥーウィンを飾った[6][7]キャンディーズのコンサートも併催され、チームルマン監督の土沼広芳がこれを見てレース業界に入ろうと決めたともいわれている[要出典]

1978年に一旦閉鎖されたが、1987年に営業を再開。再開にするにあたり当初左回りコースだったものを右回りコースに変更、加えて安全性向上のため若干レイアウトが変更された[8]。再開イベントでは、ロータリーエンジンチューナーとして知られるRE雨宮や、当時の国内最高カテゴリーF3000マシンのデモ走行が行われた。機材トラブルによる、フォーミュラーカー押し掛けという珍事でのスタートではあったが、サンテクニカルエンジニアリングチームが竹中工務店カラーのマーチ・87Bを持ち込み、飯田薫によるデモランが行われた[要出典]。1988年4月、MFJ(日本モーターサイクルスポーツ協会)公認を受ける[9]

2012年3月まで中村隆士が経営者で、当サーキットと富山県富山市八尾町平林のおわらサーキットとをリンクさせ経営していたが、その中村隆士は土地所有者(地権者)となり、2025年現在は小山大介がオーナーを務めている[10]

アクセス

周辺

その他

テレビ朝日のテレビ番組「ナニコレ珍百景」で「ドキドキする農作業」というタイトルで投稿があり、サーキットの内側に畑があることが紹介された[12]。その後、同番組で再度取材され、2019年現在も畑は健在だが、高齢化で畑を辞める人が多く、利用しているのは1人だけになってしまったという[13]

脚注

関連項目

外部リンク

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