Loading AI tools
ウィキペディアから
新里 賢(しんざと けん、1981年4月12日 - )は、大阪府堺市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。
ロッテ時代 | |
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府堺市 |
生年月日 | 1981年4月12日(43歳) |
身長 体重 |
178 cm 82 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 捕手、二塁手、三塁手 |
プロ入り | 2003年 ドラフト5巡目 |
初出場 | 2004年6月25日 |
最終出場 | 2009年4月25日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
この表について
|
捕手になったのは高校2年のとき。法政大学では2年上の浅井良の卒業で正捕手を継ぎ、4年時に主将を務めるなど、人望が厚いことで知られている。大引啓次は高校、大学の3年後輩。
2003年のドラフト会議で大阪近鉄バファローズから5巡目指名を受け入団。
2004年オフ、オリックス・ブルーウェーブとの合併に伴う選手分配ドラフトで東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍。
2006年途中、川井貴志とのトレードで東北楽天ゴールデンイーグルスから千葉ロッテマリーンズに移籍。打撃の才能をボビー・バレンタイン監督に見込まれ、出番を増やすために2008年に二塁手に挑戦すると、二軍で見事二塁手のレギュラーを獲得することに成功した。前年まで不調だった打撃も好調で、最終的に二軍で打率.300、3本塁打、38打点の好成績を残し、一軍でも5月16日にプロ初安打を放った。
2009年は二軍キャンプスタートも、オープン戦ではホームランを放ち存在感を示した。4月19日に一軍に登録されると初スタメンを経験する。4月25日の西武戦では二死一・二塁で代打で出場すると、帆足和幸からプロ初打点となる二点適時三塁打を放ち、プロ初のお立ち台にもあがったが、結局この試合が現役最後の一軍戦出場となった。10月8日に現役を引退を発表[1]。
引退後はスカウトとしてロッテ球団に留まったが、2011年度限りで退団した。現在はソニー生命保険に勤務している。千葉ロッテでチームメートだった青松敬鎔が退団した時に声をかけ、青松も同じ会社に勤務している。
この節の加筆が望まれています。 |
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.